デジタル大辞泉 「岡田源三郎」の意味・読み・例文・類語 おかだ‐げんざぶろう〔をかだゲンザブラウ〕【岡田源三郎】 [1896~1977]野球選手・監督。東京の生まれ。明大野球部で活躍。卒業後の大正12年(1923)に同大野球部監督となりチームを初優勝に導く。昭和11年(1936)名古屋金鯱きんこ軍の選手兼初代監督。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「岡田源三郎」の解説 岡田 源三郎オカダ ゲンザブロウ 大正・昭和期のプロ野球監督 明治大学野球部監督。 生年明治29(1896)年3月29日 没年昭和52(1977)年10月26日 出生地東京・早稲田 学歴〔年〕早稲田実業〔大正5年〕卒,明治大学〔大正11年〕卒 経歴大正4年朝日新聞主催の第1回全国中等野球東京大会に早稲田実業右翼手1番で出場、豊中の全国大会には捕手1番で出場。5年卒業して台湾・高雄の台湾製糖に入社、早大川島、慶大山口投手らと島内最強チームを作った。8年帰京、明治大学に入り、右翼手、内外野手、投手、捕手をこなし、駿足の1番打者だった。大正11年卒業、12年夏の明大満鮮遠征で母校監督となった。関東大震災で秋季リーグが11月に再開され、早法立に完勝、慶に2勝1敗でリーグ加入以来初優勝。一時の空白の後再び監督となり、昭和11年プロ野球連盟結成で理事。初代金鯱の監督となり、また40歳を過ぎてからも捕手として出場した。戦後はコーチとして活躍。引退後は評論家として活躍。53年殿堂入りした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田源三郎」の解説 岡田源三郎 おかだ-げんざぶろう 1896-1977 大正-昭和時代の野球監督。明治29年3月29日生まれ。大正12年母校明大の監督をつとめ初優勝をもたらす。昭和11年日本職業野球連盟結成に参画し理事となる。名古屋金鯱の初代監督となり,捕手としても出場。昭和52年10月26日死去。81歳。53年野球殿堂入り。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by