岡部氏(読み)おかべうじ

改訂新版 世界大百科事典 「岡部氏」の意味・わかりやすい解説

岡部氏 (おかべうじ)

日本各地に岡部の地名を負う氏が多く存するが,歴史上とくに著名なのは次の2氏。(1)武蔵七党小野姓猪股党 武蔵国榛沢郡岡部(現,埼玉県深谷市)より起こる。猪股忠兼の子忠綱が岡部六太夫を称したのに始まる。その孫六弥太忠澄は保元・平治の乱に源義朝に従って戦い,一ノ谷の戦では源頼朝の家人として義経軍に加わり,薩摩守平忠度を討ち取って勇名をはせた。勲功賞として各地に所領を給与された関係もあるが,その高名を慕って各地には忠澄の子孫を名のる岡部氏が少なくない。忠澄の後裔はのち足利尊氏,ついで鎌倉公方(くぼう)に仕え,後北条氏の陪臣を経て江戸時代には旗本となった。
執筆者:(2)近世大名 駿河国の出身。もと今川氏につかえ,正綱のとき徳川家康に属する。その子長盛は下総山崎1万2000石を賦与され,さらに1609年(慶長14),丹波亀山4万3000石に移される。その後丹後福知山(5万石),美濃大垣,播州竜野,摂津高槻と転封を重ね,1640年(寛永17)宣勝のとき,和泉岸和田6万石となる。のち分知により5万3000石,以後幕末に至る。当主はおおむね美濃守または内膳正に任じられている。維新後は子爵
岸和田藩
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世界大百科事典(旧版)内の岡部氏の言及

【岸和田[市]】より

…1334年(建武1)楠木正成の一族和田高家が入ったことから〈岸の和田〉と呼ばれるようになったという。室町期に岸和田荘,戦国期に岸和田城があり,1640年(寛永17)以後岡部氏の城下町として明治に至った。また,紀州藩や岸和田藩の参勤交代路として発達した紀州街道沿いには商業地区が形成され,泉州における経済や文化の中心であった。…

※「岡部氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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