岩ヶ崎城跡(読み)いわがさきじようあと

日本歴史地名大系 「岩ヶ崎城跡」の解説

岩ヶ崎城跡
いわがさきじようあと

[現在地名]栗駒町岩ヶ崎 裏山

岩ヶ崎の町並の北部丘陵地にある中世より近世にわたる城跡で、鶴丸つるまる館・鶴舞つるまい城とも称する。「伊達正統世次考」の天文五年(一五三六)六月より同八年九月の間の年欠五月二八日条によると、二迫にのはさまを支配していた富沢氏に対し、伊達氏一四代の稙宗が三迫さんのはさまに出陣しようとすると、富沢氏はしきりに和平を求めたという。その編者注に富沢は三迫磐箇崎いわがさき城主なりとある。「葛西大崎盛衰記」に「三之迫岩ケ崎城主。富沢日向守」とあり、同氏は葛西氏一族で、戦国期末の大崎・葛西両氏の対立のなかで当城も合戦場になったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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