岩伽羅城跡
いわがらじようあと
[現在地名]重信町樋口 岩伽羅
樋口の北部、標高五〇〇メートルの山頂部に位置し、現松山市の湯山に近い岩伽羅にある中世の山城跡。南の前面に支城であった吉山城跡、衣懸城跡がある。
三島神社の由緒によれば、文治元年(一一八五)の築城とされ、「予陽河野家譜」に「久米郡志津川岩伽良山城主和田三河守通興」と記される。通興は和田氏六代目と伝えられ、天文二三年(一五五四)荏原城主平岡房実の攻撃をうけて滅亡、通興の嫡男吉山城主吉盛もこの時田窪における戦で敗北した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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