岩富町(読み)いわとみまち

日本歴史地名大系 「岩富町」の解説

岩富町
いわとみまち

[現在地名]佐倉市岩富町

岩富村の南、鹿島かしま川右岸に位置。九十九里浜方面から当地を経て千葉・江戸方面へ至る通称干鰯ほしか道が通る。中世白井しらい庄のうち弥富やとみとして推移し、原氏が築いた岩富城跡がある。天正一八年(一五九〇)北条氏勝が入部し、当地など一帯は同氏領になったとみられる。万治三年(一六六〇)検地帳(佐倉市史)があり、反別は田二三町二反余・畑屋敷一〇町六反余、名請人数三二。当時佐倉藩領であったと思われる。「寛文朱印留」には佐倉藩領として岩留村町方とみえ、以後幕末まで同藩領。元禄郷帳では岩富町として高三四八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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