日本歴史地名大系 「岩富村」の解説 岩富村いわとみむら 千葉県:佐倉市岩富村[現在地名]佐倉市岩富・大作(おおさく)一丁目鹿島(かしま)川右岸に位置し、南は岩富町、西の鹿島川対岸は馬渡(まわたし)村。東金(とうがね)に至る道が通る。岩留・弥留などとも記された。中世は白井(しらい)庄のうち弥富(やとみ)として推移。天正一八年(一五九〇)北条氏勝(岩富藩)領になったとみられる。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に村名がみえ、高一千四〇〇石、二町の普請を割当てられている。「寛文朱印留」には佐倉藩領として岩留本村とみえ、以後幕末まで同藩領。 岩富村いわどめむら 千葉県:富津市岩富村[現在地名]富津市亀沢(かめざわ)迎原(むかいはら)村の東にあり、北上(きたかみ)川が流れる。房総往還が通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に岩留村として高一六八石。正保国絵図に岩留観音と記されるが、岩富(がんぷう)観音の誤りであろう。寛永二年(一六二五)および寛文二年(一六六二)に佐貫藩松平氏による検地を受けており(宝永七年「村明細帳」岩富区有文書)、寛文四年当時も佐貫藩領(「松平忠勝領知目録」寛文朱印留)。貞享五年(一六八八)幕府代官による検地があり、元禄郷帳では高一七一石余(幕末も同様)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報