日本歴史地名大系 「佐倉城下」の解説
佐倉城下
さくらじようか
- 千葉県:佐倉市
- 佐倉城下
〔城下の形成〕
慶長一五年(一六一〇)に入部した土井利勝は翌一六年から元和三年(一六一七)にかけて佐倉城を築き、その際城下も造成したものと考えられる。以後藩主は度々変わったが、城下の基本的構図は大きな変化をみずに幕末に至ったとされる。城下町は佐倉城の東に続く台地上に形成されたが、町屋(商工人町)の中心は大手門先の
大久保忠朝時代(延宝六年―貞享三年)の佐倉絵図(小田原市立図書館蔵)によれば城下の侍屋敷数二〇八・町人数三千六五一。寛延三年(一七五〇)当時の町中人別は二千九六八人(うち禅門三人・山伏二人・医師一一人など)で、ほかに寺社人別三六人・御朱印地人別一二五人であった(佐倉藩年寄部屋日記)。堀田氏時代の安政年間(一八五四―六〇)の佐倉家中調(佐倉市保管文書)では家数一千二三八のうち堀田家家臣九二一(内訳は給人以上一八八・御通掛以上一六九・御通掛以下一七九・組ノ者三八五)・町家三一七、人数六千四〇〇ほどであった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報