日本歴史地名大系 「岩富城跡」の解説 岩富城跡いわとみじようあと 千葉県:佐倉市岩富町岩富城跡[現在地名]佐倉市岩富町岩富町字城手下(しろでした)・下宿(しもじゆく)・本宿(もとじゆく)・台宿(だいじゆく)を中心に、鹿島(かしま)川と弥富(やとみ)川の合流点に臨む北に延びる半島状台地に立地。南方のみ八街(やちまた)方面の広大な台地と連続するが、東・西からの支谷によってくびれ、土橋状につながる。享徳の乱を契機に弥富郷に入部した原氏(弥富原氏)によって築かれたと考えられる。弥富原氏は小西原氏とともに臼井原氏に属し、当城は原氏領域内において重要な位置を占めた。天正一八年(一五九〇)小田原北条氏とともに弥富原氏も滅び、代りに徳川氏の家臣となった北条氏勝(玉縄北条氏)が一万石を与えられて城主となり、岩富藩が成立し、氏勝は当城を陣屋として利用したとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by