岩常村
いわつねむら
[現在地名]岩美町岩常
大田村の南に位置し、小田川左岸に集落がある。岩恒村とも記した(因幡志)。地内の高野坂は「和名抄」高山寺本にみえる巨濃郡高野郷(東急本では法美郡)の遺称地に比定される。紀州高野山の町石道にある元徳二年(一三三〇)九月一日銘の五輪塔に「因幡国岩常谷」とみえる。「因幡民談記」によれば、文正元年(一四六六)高草郡布勢(現鳥取市)へ移転するまで山名氏の守護所が当地に置かれたというが、つまびらかではない。ただし南屋敷・山崎屋敷・中村屋敷・横井屋敷などの小字が残る。「太平記」巻三二によれば、文和四年(一三五五)二月の神内(現大阪府高槻市)の合戦で足利直冬にくみして敗れた山名師氏が、討死した者たちの名字を書記し「因幡ノ岩常谷ノ道場」へ送り菩提を弔わせている。この「道場」を当地にあった大杉山満願寺に比定する説が強いが、法美郡宮下村(現国府町)の無量光寺にあてる説もある(因幡民談記)。康正二年(一四五六)三月二八日の某安堵状(北野神社引付)に「岩常保」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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