岩草村(読み)いわくさむら

日本歴史地名大系 「岩草村」の解説

岩草村
いわくさむら

[現在地名]長野市七二会(なにあい) 岩草

陣場平(じんばだいら)山の南山腹、標高八五〇メートル前後の高地の村。東は橋詰(はしづめ)村。

村名の初見は慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)で「三百七拾石三斗八升弐合 岩草村」とある。元禄の松城領高辻帳の添目録(大日方文書)には、遠見(とおみ)村・善蔵寺(ぜんぞうじ)村・中尾(なかお)村・田尻(たじり)村・戸倉(とくら)村・百瀬(ももせ)村を岩草村の枝村としていて、これらを包含して一村をなしていたものである。村落は笹平(ささだいら)から念仏(ねんぶつ)寺(現上水内(かみみのち)郡中条(なかじよう)村)を経て大内(おおうち)峠に登る山道に沿って散在する。中世は春日氏の支配した春日(かすが)郷に包含され、江戸時代を通じて松代領であった。

寛延四年(一七五一)の人詰改めの帳(林文書)には家数七〇軒、人数二五二人であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報