日本歴史地名大系 「岸山村」の解説 岸山村きしやまむら 佐賀県:東松浦郡北波多村岸山村[現在地名]北波多村大字岸山霧差(きりさし)山と岸(きし)岳に挟まれた谷間の山麓にあり、坊中(ぼうちゆう)川が村中を通る。字桜木(さくらぎ)を除いては古代の遺物出土は少ない。康和四年(一一〇二)の源(松浦)久から三男勝への処分状案(石志文書)に「波田浦 四至東限貴志山」とある。貴志山は霧差山に比定する説もあるが、岸岳を鬼子岳・貴志山・吉志山・貴子山と記す文献もある。岸山は奈良時代から平安初期にかけての郡衙(→松浦郡)から登望(とも)駅への官道筋となっていたとされる。また条里制のなごりとして八反田(はつたんだ)の地名がある。波多氏の岸岳城居城時代は、稗田(ひえだ)村と同様、家臣の居住地で、大手門(おおてもん)・矢代町(やじろまち)・大門(おおもん)・お宮町(みやまち)などの地名がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by