日本歴史地名大系 「岸岡城跡」の解説
岸岡城跡
きしおかじようあと
岸岡山丘陵北部の標高三〇―三三メートルの二つの丘を占めている。西の丘から東の丘にかけ、その南側の裾を取巻くようにして長い空堀が設けられている。深さ三メートル内外、幅四―五メートル、長さは三〇〇メートルを超える。北側は急な谷となっている。外側は掘上げた土で土塁状をなし、内側はゆるい傾斜をなす。中世城跡として他の遺構は認められないが、高い古墳などを利用して望楼などの役目を果したのではなかろうか。遺跡は現在「岸岡山緑地」のなかにある。
戦国時代ここには、東国から来たと伝える佐藤中務父子が神戸家の与力として拠った。弘治三年(一五五七)三月、近江佐々木氏の部将小倉三河守が北勢に侵入、神戸家与力の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報