日本歴史地名大系 「島原城跡」の解説
島原城跡
しまばらじようあと
〔松倉氏と島原の乱〕
慶長一九年(一六一四)有馬氏は日向国
次の勝家(重次)の代にはキリシタンへの弾圧がより厳しくなっていたが、寛永一四年に島原の乱が起き、同一五年松倉氏は所領没収となった。乱勃発の背景には森岳城の築城に伴う重税や夫役の負担があったとされるが、それは竹中采女正の失脚に伴う藩財政の収入減に加えて、寛永一二年の参勤の制度化に伴う出費、同一三年の江戸城御手伝普請への出費、同年の台風や同一四年の旱魃などによる年貢の収納減があったとされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報