譜代大名(読み)ふだいだいみょう

精選版 日本国語大辞典 「譜代大名」の意味・読み・例文・類語

ふだい‐だいみょう ‥ダイミャウ【譜代大名】

〘名〙 譜代④である大名。譜代。
政談(1727頃)一「御譜代大名計りに所替仰せ附けらるること是又偏跛にて」

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デジタル大辞泉 「譜代大名」の意味・読み・例文・類語

ふだい‐だいみょう〔‐ダイミヤウ〕【譜代大名】

江戸時代関ヶ原の戦いの前から徳川氏の家臣であった大名。全国要所に配置され、幕府要職を独占した。譜代。→外様とざま大名

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百科事典マイペディア 「譜代大名」の意味・わかりやすい解説

譜代大名【ふだいだいみょう】

譜代とは代々系図正しく家を継承すること,またその系譜をいう。転じて世襲的に主家に仕えることや代々の家臣をさした。譜代大名は江戸時代の大名家格外様(とざま)大名に対する。関ヶ原の戦以前に徳川氏に服属した家臣のうち大名の格式を与えられたもの。彦根井伊家35万石を筆頭に5万石未満の小大名が多いが,要職を占めて幕政中核を形成した。
→関連項目井伊氏出石藩大坂定番改易川越城小諸藩参勤交代寺社奉行城米親藩奏者番高遠藩土浦藩転封鳥羽藩沼田藩福島藩柳生氏柳沢氏山形藩吉田老中

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改訂新版 世界大百科事典 「譜代大名」の意味・わかりやすい解説

譜代大名 (ふだいだいみょう)

江戸時代における大名類別の一つ。譜代とは系図正しく,その家を継承してきた者の意。転じて世襲的に主人に奉公する者を指すようになった。武士の間では鎌倉時代以降発生し,世襲的な主従関係をもつ家臣を譜代といった。江戸時代においては,関ヶ原の戦以降,新しく徳川氏に服属した外様大名に対し,徳川氏の家臣団のなかから大名に取り立てられた者を譜代大名とよんだ。

 徳川家康は覇権確立以降,徳川一門(親藩)とともにさかんに譜代大名を取り立て,関東をはじめ東海,東山および周辺諸国に配置したが,大坂落城後は畿内を掌中に収め,大坂およびその周辺諸国に配置した。こうした親藩・譜代大名の拡大政策は,その後歴代将軍によって強力に推進され,2代将軍秀忠は畿外と東北を中心に,3代将軍家光は九州を中心とする中国,四国の西国に親藩・譜代大名を配置した。その数は初期3代の将軍の間に,親藩22名に対し譜代大名は実に151名(改易を含まず)に達し,徳川権力を支える強力な基盤となった。最高は井伊氏の35万石。5万石以下の小大名が多い。しかし譜代大名は全国の要地に配置され,老中,若年寄,寺社奉行,所司代,大坂城代などの幕府の要職を独占し,幕政を執行する重要な立場にあった。そのため,外様大名に比較して転封(国替)が著しく,しかもその所領は天領や旗本領との間に統廃合,切替えが行われたため,著しく分散知行化(非領国型)するに至った。例えば1664年(寛文4)武蔵忍(おし)藩の所領は,老中阿部忠秋の所領であったが,その所領高8万石は,武蔵のうち埼玉(35ヵ村),大里(31ヵ村),秩父(27ヵ村),足立(13ヵ村),幡羅(2ヵ村),男衾(9ヵ村)の6郡のほか相模三浦郡(8ヵ村),上野新田郡(7ヵ村)に存在した。幕府は親藩とともに譜代大名といえども,世嗣断絶ないし幕法違反の場合は改易し,幕藩体制の維持につとめた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「譜代大名」の意味・わかりやすい解説

譜代大名
ふだいだいみょう

江戸時代における大名類別の一つ。世襲的な主従関係をもつ家臣を譜代といい、鎌倉時代以降武士の間で発生した。江戸時代においては、関ヶ原の戦い以降、新しく徳川氏に帰属した外様(とざま)大名に対し、徳川氏の家臣団のなかから大名に取り立てられた者を譜代大名と称した。徳川家康による譜代大名の拡大政策は、歴代将軍によって強力に推進され、徳川氏を支える強力な基盤となった。最高は井伊氏の35万石。5万石以下の小大名が多い。しかし、譜代大名は全国の要地に配置され、老中・若年寄(わかどしより)、寺社奉行(ぶぎょう)、京都所司代(しょしだい)、大坂城代などの要職を独占し、幕政を執行する重要な立場にあった。

[藤野 保]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「譜代大名」の意味・わかりやすい解説

譜代大名
ふだいだいみょう

江戸時代の諸大名のうちで,関ヶ原の戦い以前に徳川氏に臣従した者。外様と区別される。領地は5万石以下が圧倒的に多かったが,戦略的に重要な地点におかれた。老中若年寄など幕府の要職を占め,親藩に次いで好遇された。江戸時代後期総大名 266家だったとき,譜代大名は 145家あった。安祥御譜代 (特に阿部,青山,石川,植村,大久保,酒井,本多氏を安祥七譜代という) ,岡崎御譜代,駿河御譜代の別がある。なお外様大名で譜代大名に準じるものを願御譜代といった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「譜代大名」の解説

譜代大名
ふだいだいみょう

江戸時代の大名の家格を将軍との関係を中心として分類する場合のまとまりの一つ。徳川氏の三河以来関ケ原の戦以前の家臣団のなかから,大名にとりたてられた者。徳川氏は外様大名との対抗上,譜代大名の創出と関東・畿内を中心とした全国要地への配置を進め,しだいに全大名数の過半を占めるようになった。ほとんどの場合,老中以下の幕府要職には譜代大名が任じられた。規模は35万石の井伊氏を最高として,大部分が5万石以下の小大名。幕府の役職就任などにともない,江戸後期まで転封が多く,また幕領や旗本領との入組みで分散知行の形態となり,外様大名にくらべて自領の一円的支配は困難であった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「譜代大名」の解説

譜代大名
ふだいだいみょう

江戸時代,大名の家格
関ケ原の戦い(1600)以前から徳川家に属した家臣。幕府の要職を占め,外様大名牽制の目的で親藩と並んで要地に配置されたが,石高は5万石以下が多く,最高は井伊氏の35万石。18世紀末には,大名総数264家中136家を占めた。

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世界大百科事典(旧版)内の譜代大名の言及

【江戸幕府】より

…しかし19世紀になると諸大名が独自に国産の開発にのり出したことや,さらに開港後の外国貿易による混乱を統制しきれず,崩壊の一因となることを防げなかった。
【組織】
 幕府は譜代大名旗本御家人から成る軍事組織であり,その長である将軍が全国を行政的に支配するものであった。大名の所領支配は形式上は独自性が認められていたが,実質的には大名は幕府の意図を忖度し,それにそった施政を行った。…

【囲米】より

…幕府自身の囲米としては,幕初から年貢米の一部が米蔵に蓄えられており,1843年(天保14)には江戸浅草御蔵に14万石のほか小菅,大坂,二条,駿府など合計55万石であった。大名には,1633年(寛永10)以来,城詰米と称して宇都宮,松本,諏訪,膳所藩など要地の譜代大名に幕府米の貯蔵と詰替えを命じている。これらは幕府の全国支配の一環として軍事上や飢饉対策,米価調節に利用された。…

【大名】より

…又者(またもの)あるいは又家来という意味である。
[大名の類別]
 大名は,その経歴,取立てによって旧族大名,織豊大名,徳川系大名(徳川一門=親藩,譜代大名)に分類される。旧族大名は戦国大名から近世大名に転化したもの。…

【外様大名】より

…江戸時代における大名類別の一つ。徳川氏は関ヶ原の戦による覇権確立以降,自己の一門,家臣のなかから多数の大名を取り立てたが,これを親藩譜代大名とよんだのに対し,旧族大名や豊臣系の大名で,新しく徳川氏に服属した大名を外様大名と称した。なかには外様大名の子弟で譜代大名になったものもある。…

※「譜代大名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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