有馬村(読み)ありまむら

日本歴史地名大系 「有馬村」の解説

有馬村
ありまむら

[現在地名]渋川市有馬

榛名はるな山の東麓に位置し、西は湯上ゆのうえ村、北は湯上村・なか村。三国街道が中央を南北に通る。「和名抄」の群馬郡有馬郷に比定され、「延喜式」左右馬寮にみえる有馬島牧との関係が考えられる。有馬郷を中心とした地域の豪族として「新撰姓氏録」右京皇別に載る阿利真公をあげる説もある。阿利真公は上毛野氏の系統を引き、孝徳天皇の時代、旱魃に際し高樋を造作して水を献じた功績から垂水公の姓を与えられ、垂水たるみ神社をつかさどったという(同書)。同社は摂津の垂水神社(現大阪府吹田市)にあたるとされる。総社本「上野国神名帳」の群馬郡東郡のなかに有馬の名を冠した神名が三神ある。従四位有馬渠口明神・正五位有馬堰口明神・正五位有馬堰口御明神で、三神のうち有馬渠口明神が字後田うしろだの地に鎮座する有馬渠口ありまみぞのくち神社に比定される。祭神は有馬公と菅原道真。社の近くに榛名はるな山麓から流れる小川があり、社地の北側には条里跡が残っていた通称有馬田んぼが広がる。

有馬村
ありまむら

[現在地名]熊野市有馬町

井土いど村の南西にある。有馬は「日本書紀」神代巻の一書に「紀伊国の熊野の有馬村」と現れる。有馬の地名は永徳二年(一三八二)一〇月一九日熊野山総神官等注進状(熊野速玉大社古文書古記録)有馬庄、永享一一年(一四三九)の借銭状(米良文書)に有馬とみえる。慶長検地では「有馬ノ内池辺村」と記される(「慶長検地高目録」和歌山県間藤氏蔵)。村名は産田うぶた池をめぐる村落の形態によるものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報