島田利正(読み)しまだ・としまさ

朝日日本歴史人物事典 「島田利正」の解説

島田利正

没年:寛永19.9.15(1642.10.8)
生年天正4(1576)
江戸前期の江戸町奉行。旗本島田重次の子。通称四郎,長四郎,次兵衛。弾正忠。徳川秀忠に仕え,慶長5(1600)年関ケ原の戦に従軍。御使番を経て,18年米津田政と共に江戸の町奉行に任じられる。知行は5000石。江戸町奉行当時,判決例を編纂。才知に富んだ能吏として知られ,重要事項の審議には欠かせぬ存在であったというが,一方では利正の裁きは筋の通ったものながら,理非曲直を厳正に追及するあまり,くつろぎがないと評された。寛永12(1635)年剃髪して幽也と称す。<参考文献>室鳩巣『鳩巣小説』

(大森映子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田利正」の解説

島田利正 しまだ-としまさ

1576-1642 江戸時代前期の武士
天正(てんしょう)4年生まれ。幕臣。徳川秀忠につかえ,使番をへて,慶長18年(1613)江戸の町奉行となる。町奉行の職名は,米津田政(よねきつ-たまさ)と利正のときいらい定着したという。寛永19年9月15日死去。67歳。通称は兵(平)四郎,長四郎,次兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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