島袋光裕(読み)シマブクロ コウユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「島袋光裕」の解説

島袋 光裕
シマブクロ コウユウ


職業
琉球舞踊家 琉球芸能家 書家

別名
号=石扇

生年月日
明治26年 6月1日

出生地
沖縄県 那覇市

学歴
沖縄県立一中(首里高)〔大正2年〕卒,早稲田大学文学部〔大正4年〕中退

経歴
兵役を終えて地元新聞の芸能記者をしながら郷土演劇(沖縄芝居)の改革をめざした。小さな劇場を持って菊池寛の「父帰る」や翻案劇を公演。玉城盛重に師事して郷土史、伝統芸能の研究を積み、郷土演劇界を指導した。昭和28年沖縄代表として文部省主催の芸術祭に参加、本土各地で琉球舞踊を紹介した。31年琉舞研究所を設立、舞踊の指導に専念。得意芸は二才踊り「高平万歳」で、組踊では「執心鐘入」の座主役、「大川敵討」の満名役が有名。40年にはソ連に招かれソ連各地で巡演、また日・琉舞踊をまじえた合作劇「帝の矢―為朝由来記」に出演、伝統芸能への新しい実験に挑戦。47年“組踊”が国の重要無形文化財に認定された。沖縄俳優協会会長、沖縄芸能協会会長もつとめた。また書家としても知られ、自伝に「石扇回想録」がある。

受賞
沖縄県文化功労賞〔昭和49年〕

没年月日
昭和62年 9月7日 (1987年)

家族
五女=島袋 恵美子(舞踊家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「島袋光裕」の解説

島袋 光裕
シマブクロ コウユウ

昭和期の琉球舞踊家,琉球芸能家,書家



生年
明治26(1893)年6月1日

没年
昭和62(1987)年9月7日

出生地
沖縄県那覇市

別名
号=石扇

学歴〔年〕
沖縄県立一中(現・首里高)〔大正2年〕卒,早稲田大学文学部〔大正4年〕中退

主な受賞名〔年〕
沖縄県文化功労賞〔昭和49年〕

経歴
兵役を終えて地元新聞の芸能記者をしながら郷土演劇(沖縄芝居)の改革をめざした。小さな劇場を持って菊池寛の「父帰る」や翻案劇を公演。玉城盛重に師事して郷土史、伝統芸能の研究を積み、郷土演劇界を指導した。昭和28年沖縄代表として文部省主催の芸術祭に参加、本土各地で琉球舞踊を紹介した。31年琉舞研究所を設立、舞踊の指導に専念。得意芸は二才踊り「高平万歳」で、組踊では「執心鐘入」の座主役、「大川敵討」の満名役が有名。40年にはソ連に招かれソ連各地で巡演、また日・琉舞踊をまじえた合作劇「帝の矢―為朝由来記」に出演、伝統芸能への新しい実験に挑戦。47年“組踊”が国の重要無形文化財に認定された。沖縄俳優協会会長、沖縄芸能協会会長もつとめた。また書家としても知られ、自伝に「石扇回想録」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島袋光裕」の解説

島袋光裕 しまぶくろ-こうゆう

1893-1987 昭和時代の舞台俳優,舞踊家。
明治26年6月1日生まれ。故郷沖縄県の新聞記者,代用教員などをへて,演劇活動にはいる。昭和4年玉城盛重(たまぐすく-せいじゅう)に郷土芸能をまなぶ。戦後,松劇団,紫の会琉舞練場を主宰。47年「組踊」で重要無形文化財(総合認定)保持者。書家としても知られ,石扇と号した。昭和62年9月7日死去。94歳。早大中退。著作に「石扇回想録」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「島袋光裕」の解説

島袋 光裕 (しまぶくろ こうゆう)

生年月日:1893年6月1日
昭和時代の琉球舞踊家;琉球芸能家。沖縄俳優協会会長;沖縄芸能協会会長
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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