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菊池寛 きくち かん

デジタル大辞泉の解説

きくち‐かん〔‐クワン〕【菊池寛】

[1888~1948]小説家・劇作家。香川の生まれ。本名、寛(ひろし)。第三次・第四次「新思潮」同人。文芸家協会の設立に尽力し、雑誌「文芸春秋」を創刊。のち、芥川賞直木賞を制定した。小説「恩讐の彼方に」「藤十郎の恋」「真珠夫人」、戯曲屋上の狂人」「父帰る」など。

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百科事典マイペディアの解説

菊池寛【きくちかん】

大正・昭和の小説家,劇作家。本名寛(ひろし)。高松生れ。京大英文科卒。一高時代に芥川龍之介久米正雄らを知り,第3次,第4次《新思潮》同人となる。戯曲《屋上の狂人》《父帰る》を発表したが認められなかった。
→関連項目オール読物家庭小説新思潮大映[株]通俗小説永井竜男日本フェビアン協会日本文芸家協会横光利一

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菊池寛 きくち-ひろし

きくち-かん

菊池寛 きくち-かん

1888-1948 大正-昭和時代の小説家,劇作家。
明治21年12月26日生まれ。第3・第4次「新思潮」同人。大正7年「忠直卿(ただなおきょう)行状記」などの明確なテーマをもった小説でみとめられる。9年「真珠夫人」をかき,通俗小説に転じる。12年雑誌「文芸春秋」を創刊し,のち芥川賞,直木賞,菊池寛賞を創設。芸術院会員。昭和23年3月6日死去。61歳。香川県出身。京都帝大卒。本名は寛(ひろし)。ほかに戯曲「父帰る」,小説「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に」など。
【格言など】悪妻は百年の不作であるという。しかし,女性にとって,悪夫は百年の飢饉である

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世界大百科事典 第2版の解説

きくちかん【菊池寛】

1888‐1948(明治21‐昭和23)
大正・昭和の小説家,劇作家。香川県生れ。本名寛(ひろし)。父は小学校庶務係で家は貧しかったが,向学心つよく,1908年(明治41)上京,東京高師,明治大学などに籍をおいたのち,10年第一高等学校文科に入学,同級の芥川竜之介,久米正雄,松岡譲成瀬正一らとの交友から文学志望の決意を固めるが,卒業を目前にした13年,友人の罪を着て一高を退学,京都大学選科(のち本科に編入)に進んでイギリスの近代戯曲を学んだ。

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大辞林 第三版の解説

きくちかん【菊池寛】

1888~1948) 小説家・劇作家。香川県生まれ。本名、寛ひろし。京大卒。第三、四次「新思潮」同人。主題を明確にした知的作風で知られ新理知派と称された。雑誌「文芸春秋」を創刊、芥川賞・直木賞を設定した。戯曲「父帰る」、小説「恩讐の彼方に」「真珠夫人」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

菊池寛
きくちかん

[生]1888.12.26. 高松
[没]1948.3.6. 東京
小説家,劇作家。本名,寛 (ひろし) 。 1910年第一高等学校に入学,13年中退,のち京都大学英文科卒業。 14年一高時代の旧友芥川龍之介,久米正雄らと第3次『新思潮』を,16年第4次『新思潮』を起し,同年『屋上の狂人』,17年『父帰る』などの戯曲を経て,18年『ゼラール中尉』『無名作家の日記』『忠直卿行状記』,19年『恩讐の彼方に』『藤十郎の恋』など小説を矢つぎばやに発表して認められた。『入れ札』 (1921) ,『蘭学事始』 (21) などの名作を残す一方,新聞連載の『真珠夫人』 (20) の成功によって通俗小説に領域を広げ,昭和期には通俗小説家として大成。また雑誌『文藝春秋』創刊 (23) 以後の出版事業の成功,劇作家協会,小説家協会設立 (21,のちあわせて文芸家協会) による文筆家の福利厚生事業,芥川賞直木賞の設定 (35) による新人育成などで「文壇の大御所」と呼ばれる実力を示した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

菊池寛
きくちかん
(1888―1948)

小説家、劇作家。明治21年12月26日、香川県高松市に生まれる。本名寛(ひろし)。高松中学を経て東京高等師範学校に推薦入学したが、奔放な性行から退学となり、1910年(明治43)第一高等学校文科に入学、同級に芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、久米正雄、山本有三らがいたが、卒業直前に友人の罪を着て退学、改めて京都帝国大学英文科に入学した。在学中の14年(大正3)前記友人たちの同人誌『新思潮』(第三次。翌年第四次)に参加して、イギリス、アイルランドの戯曲に学んだ清新な一幕物『屋上の狂人』『海の勇者』(ともに1916)、『父帰る』(1917)を発表したが反響はなかった。京大卒業後、時事新報社に入社し小説を発表、『無名作家の日記』『忠直卿(ただなおきょう)行状記』(ともに1918)によって新進作家としての地位を確立、ついで『恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に』『藤十郎の恋』(ともに1919)など、現実主義の立場からの明快なテーマ小説を発表して世評を得た。20年長編小説『真珠夫人』を新聞に連載し、大衆小説に新境地を開拓した。この年2世市川猿之助の春秋座が『父帰る』を上演して好評を博し、以降劇作家としても迎えられた。ほかに戯曲『義民甚兵衛』(1923)、『時の氏神』(1924)、通俗小説に『火華(ひばな)』(1922)、『第二の接吻(せっぷん)』(1925)などがある。23年雑誌『文芸春秋』を創刊、出版社の経営に成功するほか、文芸家協会の設立、芥川賞・直木賞・菊池寛賞の設定、大映社長として映画事業への参画など多方面に活躍、「文壇の大御所」とよばれた。37年(昭和12)芸術院会員となる。第二次世界大戦後、公職追放を受け、その解除をみないまま昭和23年3月6日狭心症のため没した。[藤木宏幸]
『『菊池寛全集』全10巻(1960・文芸春秋新社) ▽『恩讐の彼方に』(角川文庫) ▽永井龍男著『菊池寛』(1961・時事通信社)』

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世界大百科事典内の菊池寛の言及

【芥川賞】より

…文芸春秋社を主宰していた菊池寛が旧友芥川竜之介を記念する意味と雑誌の発展,純文学の新人の発掘をめざして設定した文学賞。年2回。…

【恩讐の彼方に】より

菊池寛の短編小説。1919年《中央公論》に発表。…

【真珠夫人】より

菊池寛の長編小説。1920年《東京日日新聞》《大阪毎日新聞》に掲載。…

【大映[株]】より

…1942年,戦時統合により,日活,新興,大都の3社が合併して大日本映画株式会社として設立された。初代社長は菊池寛。第1回製作作品は,合併によって獲得した阪東妻三郎,片岡千恵蔵,市川右太衛門,嵐寛寿郎の四大スター競演の時代劇《維新の春》である。…

【藤十郎の恋】より

…1幕3場。菊池寛作。はじめ小説として1919年4月《大阪毎日新聞》夕刊に連載。…

【日本文芸家協会】より

…文学者の職能擁護団体。菊池寛らによって,小説家協会(1921年発足)と劇作家協会(1920年発足)とが合併して1926年に設立された文芸家協会をその前身とする。34年社団法人となるが,第2次大戦中,日本文学報国会が成立すると,文芸家協会は解散,吸収された。…

【文芸春秋[株]】より

…菊池寛が創業した出版社。1923年1月,菊池寛は自宅に文芸春秋社を設立,《文芸春秋》を発刊した。…

【文芸春秋】より

…月刊総合雑誌。菊池寛の設立した文芸春秋社より1923年1月に創刊された。当初,芥川竜之介〈侏儒の言葉〉を第1号から39回にわたって連載するなど,文芸的な随筆雑誌の色彩が濃かった。…

※「菊池寛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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