(2020-06-01 朝日新聞 朝刊 高知全県・1地方)
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小説家、劇作家。明治21年12月26日、香川県高松市に生まれる。本名寛(ひろし)。高松中学を経て東京高等師範学校に推薦入学したが、奔放な性行から退学となり、1910年(明治43)第一高等学校文科に入学、同級に芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、久米正雄、山本有三らがいたが、卒業直前に友人の罪を着て退学、改めて京都帝国大学英文科に入学した。在学中の14年(大正3)前記友人たちの同人誌『新思潮』(第三次。翌年第四次)に参加して、イギリス、アイルランドの戯曲に学んだ清新な一幕物『屋上の狂人』『海の勇者』(ともに1916)、『父帰る』(1917)を発表したが反響はなかった。京大卒業後、時事新報社に入社し小説を発表、『無名作家の日記』『忠直卿(ただなおきょう)行状記』(ともに1918)によって新進作家としての地位を確立、ついで『恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に』『藤十郎の恋』(ともに1919)など、現実主義の立場からの明快なテーマ小説を発表して世評を得た。20年長編小説『真珠夫人』を新聞に連載し、大衆小説に新境地を開拓した。この年2世市川猿之助の春秋座が『父帰る』を上演して好評を博し、以降劇作家としても迎えられた。ほかに戯曲『義民甚兵衛』(1923)、『時の氏神』(1924)、通俗小説に『火華(ひばな)』(1922)、『第二の接吻(せっぷん)』(1925)などがある。23年雑誌『文芸春秋』を創刊、出版社の経営に成功するほか、文芸家協会の設立、芥川賞・直木賞・菊池寛賞の設定、大映社長として映画事業への参画など多方面に活躍、「文壇の大御所」とよばれた。37年(昭和12)芸術院会員となる。第二次世界大戦後、公職追放を受け、その解除をみないまま昭和23年3月6日狭心症のため没した。
[藤木宏幸]
『『菊池寛全集』全10巻(1960・文芸春秋新社)』▽『『恩讐の彼方に』(角川文庫)』▽『永井龍男著『菊池寛』(1961・時事通信社)』
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…文芸春秋社を主宰していた菊池寛が旧友芥川竜之介を記念する意味と雑誌の発展,純文学の新人の発掘をめざして設定した文学賞。年2回。…
…菊池寛の短編小説。1919年《中央公論》に発表。…
…菊池寛の長編小説。1920年《東京日日新聞》《大阪毎日新聞》に掲載。…
…1942年,戦時統合により,日活,新興,大都の3社が合併して大日本映画株式会社として設立された。初代社長は菊池寛。第1回製作作品は,合併によって獲得した阪東妻三郎,片岡千恵蔵,市川右太衛門,嵐寛寿郎の四大スター競演の時代劇《維新の春》である。…
…1幕3場。菊池寛作。はじめ小説として1919年4月《大阪毎日新聞》夕刊に連載。…
…文学者の職能擁護団体。菊池寛らによって,小説家協会(1921年発足)と劇作家協会(1920年発足)とが合併して1926年に設立された文芸家協会をその前身とする。34年社団法人となるが,第2次大戦中,日本文学報国会が成立すると,文芸家協会は解散,吸収された。…
…菊池寛が創業した出版社。1923年1月,菊池寛は自宅に文芸春秋社を設立,《文芸春秋》を発刊した。…
…月刊総合雑誌。菊池寛の設立した文芸春秋社より1923年1月に創刊された。当初,芥川竜之介〈侏儒の言葉〉を第1号から39回にわたって連載するなど,文芸的な随筆雑誌の色彩が濃かった。…
※「菊池寛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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