崇親院跡(読み)すうしんいんあと

日本歴史地名大系 「崇親院跡」の解説

崇親院跡
すうしんいんあと

「すじんいん」ともいう。「三代実録」貞観元年(八五九)二月一一日条に「右大臣従二位兼行左近衛大将藤原朝臣良相奏請、以私第一区、建崇親院、安置藤原氏女無居宅、便隷施薬院、凡厥所付物、令施薬院司之、(中略)詔従之」とあり、右大臣藤原良相が一門の居宅なき婦女を収容する施設として崇親院の創設を奏上し勅許されたこと、その管理には施薬院司があたったことが知れる。同九年一〇月一〇日条には「引氏中子女不自存以収養」とある。

その所在地は、「拾芥抄」に「在東五条京極、往年有勾当、樋口北、京極西隅云々」とあり、現植松うえまつ町辺に中心の建物や政所などがあったことになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の年中行事。年末に天井や壁にたまった煤を取除き大掃除をすること。近年は正月休みに入る 12月 29日とか 30日が多いが,伝統的には 12月 13日に行なった。この日は正月を迎えるための準備を開始...

煤払いの用語解説を読む