嵯峨荘(読み)さがのしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「嵯峨荘」の意味・わかりやすい解説

嵯峨荘
さがのしょう

山城(やましろ)国葛野(かどの)郡(京都市右京区)にあった荘園。平安時代前期~中期にその存在を検証できる。また、上中下3荘からなる荘園であったことを推測させる田図が、『東寺(とうじ)文書』中にあるが、どの時期に該当するかはわからない。領有関係についても不明である。このように嵯峨荘の実態を示す史料は乏しいが、弘仁(こうにん)年中(810~824)前後の成立とされ条里制研究上重要な「山城国葛野郡班田図」(お茶の水図書館所蔵)によって、当荘の条里施行が明らかにされている。なお同地にあった嵯峨天皇山荘も嵯峨荘(院)とよばれたが、のち大覚(だいかく)寺となる。

[志賀節子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む