川倉村(読み)かわくらむら

日本歴史地名大系 「川倉村」の解説

川倉村
かわくらむら

[現在地名]金木町川倉

大倉おおくら岳麓の金木台地と岩木川デルタの接点にあり、南北を藤枝ふじえだ大沢内おおざわない両溜池に挟まれる。東は金木村敷葉しきば沢の峰に達し、西は藤枝村、南は七夕野しちせきので金木村、北は大沢内村(現中里町)に接する。

寛文四年(一六六四)の高辻帳に二二〇・五石とある。元禄一五年(一七〇二)の社堂社地境内記(旧版金木郷土史)に、村内の三社権現について「同堂南向二尺五寸四面 寛文八年在建立」とあり、延宝九年(一六八一)の堂宮神主山伏行人之覚に「従古来跡有之開基之年号不知」とあることから、創建を正保年間(一六四四―四八)とする説もあり(金木郷土史)、開村をさらにさかのぼらせる説もあるが不詳。


川倉村
かわくらむら

[現在地名]大内町岩野目沢いわのめざわ 川倉

いも川の上流左岸にあり、南は増沢ますざわ村、北は岩野目沢村に接する。

慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)新沢あらさわ郷の一村として川蔵村とある。寛永二年(一六二五)には三四石六斗八升、納米三一石二斗一升二合、免九ツとある(油利之内修理大夫様御知行御検地帳免定之目録写)。亀田領内最高の免のため同年打直しが行われ、新高六九石七斗六升六合、納米三四石八斗八升三合、免五ツ(由利御知行之内打直分免定覚)と改められたが、百姓の負担はむしろ増加した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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