日本歴史地名大系 「川勾村」の解説 川勾村かわわむら 神奈川県:中郡二宮町川勾村[現在地名]二宮町川匂(かわわ)東は緩やかな丘陵、西は押切(おしきり)川の河岸段丘が広がり、北・東・南の三方を山西(やまにし)村に囲まれる。押切川が西の足柄下(あしがらしも)郡中村原(なかむらはら)(現小田原市)との境を南へ流れる。村名の川勾は川勾(まが)るの意味で古押切川が曲流したところから起こったとされ(風土記稿)、「延喜式」神名帳には「川勾(カハワノ)神社」がみえる。古くは山西村とともに「梅沢の里」とよばれたという(風土記稿)。寛永一七年(一六四〇)山西村より分れた。正保国絵図に「川勾村」とある。飛地が多く、山西村と土地が複雑に入組む。支配は寛永一七年以降、宝永六年(一七〇九)―享保元年(一七一六)に幕府直轄領となった以外は小田原藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報