川原茂輔(読み)カワハラ モスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「川原茂輔」の解説

川原 茂輔
カワハラ モスケ


肩書
衆院議長,衆院議員(政友会)

生年月日
安政6年9月15日(1859年)

出生地
肥前国西松浦郡大川内村(佐賀県)

経歴
明治7年草場船山の塾で漢学を学び、早くから佐賀県政界・実業界で活躍し、佐賀県会議長、佐賀日日新聞社長など歴任。25年以来衆院議員当選10回、政友会に属したが、大正13年政友会改造問題のため除名され、政友本党入党。昭和2年政友会に復帰、4年衆院議長となった。

受賞
勲二等

没年月日
昭和4年5月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「川原茂輔」の解説

川原 茂輔
カワハラ モスケ

明治・大正期の政治家 衆院議長;衆院議員(政友会)。



生年
安政6年9月15日(1859年)

没年
昭和4(1929)年5月19日

出生地
肥前国西松浦郡大川内村(佐賀県)

主な受賞名〔年〕
勲二等

経歴
明治7年草場船山の塾で漢学を学び、早くから佐賀県政界・実業界で活躍し、佐賀県会議長、佐賀日日新聞社長など歴任。25年以来衆院議員当選10回、政友会に属したが、大正13年政友会改造問題のため除名され、政友本党入党。昭和2年政友会に復帰、4年衆院議長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「川原茂輔」の解説

川原茂輔

没年:昭和4.5.19(1929)
生年:安政6.9.15(1859.10.10)
明治大正期の政党政治家。豪農の子として肥前国(佐賀県)西松浦郡に生まれる。草場船山の漢学塾に学び,早くから佐賀県議,同議長,伊万里鉄道や船越鉄道などの会社重役,『佐賀日日新聞』社長として佐賀県政界・実業界で活躍。衆議院では明治25(1892)年の第2回総選挙に当選,35年からは立憲政友会党員として当選,以後同党の中で地位を築き総務となる。大正13(1924)年の政友会分裂に際しては,総裁派に反発して除名され,政友本党に参加し総務となる。しかし,昭和2(1927)年にはすぐに政友会に復帰。この間,議場のリーダーとして活躍し,衆議院予算委員会委員長,4年には議長となる。武人気質で,議場の闘士として知られた。

(季武嘉也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川原茂輔」の解説

川原茂輔 かわはら-もすけ

1859-1929 明治-昭和時代前期の政治家。
安政6年9月15日生まれ。明治25年衆議院議員(当選11回)。政友会に所属し,全院委員長などをつとめたが,大正13年政友会の分裂で政友本党の結成に参加。のち政友会に復帰し,昭和4年衆議院議長となった。昭和4年5月19日死去。71歳。肥前松浦郡大河内村(佐賀県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「川原茂輔」の解説

川原 茂輔 (かわはら もすけ)

生年月日:1859年9月15日
明治時代;大正時代の政治家。衆議院議員;佐賀日日新聞社長
1929年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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