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政友本党 せいゆうほんとう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

政友本党
せいゆうほんとう

日本の政党。 1924年に清浦奎吾内閣の成立にあたって,立憲政友会を脱党した清浦支持派である床次竹二郎一派が結成した。政友会に残留した 129人に対し,149人を擁して第1党となり,唯一の与党として,護憲三派と対立。

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デジタル大辞泉の解説

せいゆう‐ほんとう〔セイイウホンタウ〕【政友本党】

大正13年(1924)立憲政友会から分裂して成立した政党。普通選挙法案に反対し、階級調和を綱領に掲げる。昭和2年(1927)立憲民政党に合流。

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百科事典マイペディアの解説

政友本党【せいゆうほんとう】

1924年1月清浦奎吾内閣に対する賛否をめぐって立憲政友会が分裂した時,清浦を支持する床次(とこなみ)竹二郎らの保守派が結成した政党。〈階級調和〉〈世界平和〉を掲げたが,5月の総選挙で護憲三派に大敗し,また政友・憲政両党間に動揺して独自の路線を打出せず,1927年田中義一政友会内閣が成立するや6月憲政会と合同して立憲民政党を結成。
→関連項目加藤高明内閣朴烈事件若槻礼次郎内閣

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世界大百科事典 第2版の解説

せいゆうほんとう【政友本党】

立憲政友会(政友会)から分裂した政党。1921年11月原敬暗殺後,政友会内は,第1次大戦後の不況や普選運動の高揚に対応して財政緊縮や普選問題の解決を企図する高橋是清総裁,横田千之助ら改造派(のち非改革派)と,積極財政・普選反対等の従来の政友会路線を維持しようとする床次(とこなみ)竹二郎,中橋徳五郎ら非改造派(のち改革派)の対立が激化した。24年1月清浦奎吾(けいご)内閣の成立を契機に,前者は憲政会,革新俱楽部と結び普選等をスローガンに第2次護憲運動を起こし,後者は脱党して政友本党を組織し清浦内閣の与党となった。

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大辞林 第三版の解説

せいゆうほんとう【政友本党】

1924年(大正13)、立憲政友会から清浦内閣を支持する一派が分離して結成した政党。27年(昭和2)田中義一政友会内閣の成立に対抗して憲政会と合同、立憲民政党を結成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

政友本党
せいゆうほんとう

1924年(大正13)1月29日立憲政友会床次竹二郎(とこなみたけじろう)派が結成した保守政党。1921年11月原敬(はらたかし)首相暗殺後の政友会は、高橋是清(これきよ)総裁らの高橋派と床次・中橋徳五郎(なかはしとくごろう)・元田肇(もとだはじめ)らの床次派との内部対立が激化していた。24年1月清浦奎吾(きようらけいご)内閣が成立すると、高橋派は憲政会、革新倶楽部(くらぶ)と提携して第二次憲政擁護運動に立ち上がったが、床次派は普通選挙反対を唱えて清浦内閣を支持し、149名が脱党して政友本党を結成した(床次の総裁就任は同年6月24日)。残留組の政友会は129名で第二党となる。しかし同年5月の総選挙で109名と護憲三派に惨敗し、第一次加藤高明(たかあき)内閣のもとで少数野党に転落した。第二次加藤、若槻礼次郎(わかつきれいじろう)両憲政会内閣時代には一時政友会と提携したが、27年4月田中義一(ぎいち)政友会内閣が成立すると、これに対抗するため、6月1日解党と同時に憲政会と合同し、立憲民政党を結成した。その結果、政友会、民政党による保守二大政党対立時代が出現した。[木坂順一郎]
『升味準之輔著『日本政党史論 第五巻』(1979・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の政友本党の言及

【政友会】より

…政友会は,次の加藤友三郎内閣には与党としてこれを支持したが,1923年9月に成立した第2次山本内閣には野党の立場をとり,続く清浦奎吾内閣が貴族院議員を中心に組閣されると,24年高橋総裁ら主流派は憲政会,革新俱楽部とともに護憲三派を形成して第2次護憲運動をおこした。そのため,床次(とこなみ)竹二郎ら反主流派が分裂して政友本党を結成したため,政友会は過半数政党の条件を失い,解散後の総選挙でも議席を減らすことになって政局運用のリーダーシップを失った。その結果,憲政会総裁加藤高明を内閣首班とする護憲三派内閣に高橋ら2名を入閣させ,25年公約の普選法案などを成立させると,高橋は政局打開の見通しを失って辞任し,政友会は陸軍大将田中義一を後継総裁に迎え,さらに革新俱楽部を吸収した。…

【床次竹二郎】より

…その間,内務省社会局,協調会を設置し,民力涵養運動を推進して社会運動に対抗し,さらに郡制の廃止を断行した。原の没後,政権担当への願望を強め,24年清浦奎吾内閣を支持して政友会を分裂せしめて政友本党を結成し総裁に就任した。27年,発足した立憲民政党の顧問となったが翌年脱党して新党俱楽部を組織し,さらに政友会に復帰した。…

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