20世紀日本人名事典 「川島アクリ」の解説 川島 アクリカワシマ アクリ 明治〜昭和期の教育者 生年明治10(1877)年11月15日 没年昭和34(1959)年11月25日 出生地福岡県福岡市 主な受賞名〔年〕藍綬褒章〔昭和18年〕 経歴裁縫を独習し、20歳で小学校裁縫科の准教員免許を取得。教員として小倉高等女学校や福岡県女子師範学校に勤務したのを経て、大正11年川島裁縫女学校を開校。同校は「女子は従順であれ」を校訓とし、実践的な教育を行った。昭和18年には川島女学校に改称するも、20年の福岡大空襲に遭って校舎は全焼。しかし、戦後に仮校舎から再起をはかり、29年学校法人川島学園を設立。のちに同学園は、川島女子専門学校・福岡舞鶴高等学校へと順調な発展を遂げた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川島アクリ」の解説 川島アクリ かわしま-アクリ 1877-1959 明治-昭和時代の教育者。明治10年11月15日生まれ。独学で裁縫をまなび,教員となる。大正11年生地の福岡市に川島裁縫女学校をひらく。昭和29年川島学園を創立し,室見丘女子高(現福岡舞鶴高)を開校した。昭和34年11月25日死去。82歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by