川崎善三郎(読み)カワサキ ゼンザブロウ

20世紀日本人名事典 「川崎善三郎」の解説

川崎 善三郎
カワサキ ゼンザブロウ

明治〜昭和期の剣道家 大日本武徳会高知支部名誉師範。



生年
万延1年4月20日(1860年)

没年
昭和19(1944)年5月20日

出生地
土佐国高知(高知県高知市)

経歴
土佐藩士の子として生まれ、7歳の頃から父に従って剣術の稽古を始める。明治19年に上京し、剣道世話係として高輪警察署に勤務。その傍ら山岡鉄舟や上田馬之助ら当時の名だたる剣客に師事。剣術の流派は無外流で、その強さと技量はたちまち剣術界の評判となり、高橋佐三郎・高橋赳太郎と並ぶ“警視庁の三羽烏”の1人に数えられた。22年の吾妻橋警察署道場開きでは、夕方6時から開始して翌朝6時にまで及ぶ立ち切り稽古を敢行。39年に帰郷した後は高知師範学校や高知第1中学で教えるなど高知県の剣道界を常に牽引し、大正12年には高知工業の武道教授に就任。また、大日本武徳会の高知支部剣道師範も務め、同年には剣道範士の称を授けられた。さらに昭和4年には昭和天皇御大典記念の天覧試合審判員に任ぜられ、その大役を立派に果たした。大日本武徳会高知支部名誉師範。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川崎善三郎」の解説

川崎善三郎 かわさき-ぜんざぶろう

1860-1944 明治-昭和時代前期の剣道家。
万延元年4月生まれ。上京して警視庁高輪(たかなわ)署の剣道世話係となり,山岡鉄舟,上田馬之助らに教えをうける。明治39年高知に帰郷,高知師範,高知商業などで後進指導にあたる。大正12年剣道範士。昭和4年天覧試合の審判員をつとめた。昭和19年5月20日死去。85歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android