精選版 日本国語大辞典 「山岡鉄舟」の意味・読み・例文・類語
やまおか‐てっしゅう【山岡鉄舟】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
幕末・明治前期の剣客、政治家。名は高歩(たかゆき)、通称鉄太郎、鉄舟は号。天保(てんぽう)7年6月10日旗本小野朝右衛門の長男として生まれ、1855年(安政2)槍(やり)の師である山岡家を継いだ。また千葉周作に剣を学び、のち無刀流を案出し春風館を開き門弟を教えた。1856年講武所剣術世話役。1862年(文久2)幕府が募集した浪士隊の取締役となる。1868年(慶応4)3月戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際、勝海舟(かつかいしゅう)の使者として駿府(すんぷ)に行き、西郷隆盛(さいごうたかもり)と会見して、江戸開城についての勝・西郷会談の道を開いた。1869年(明治2)9月静岡藩権大参事(ごんだいさんじ)、1871年茨城県参事を経て、1872年6月侍従に就任。ついで宮内少丞(しょうじょう)・大丞と進み、1881年宮内少輔(しょうゆう)となった。子爵。書は一楽斎と号して有名である。勝海舟、高橋泥舟(たかはしでいしゅう)とともに幕末三舟と称せられる。明治21年7月19日没。墓は東京谷中の全生庵(ぜんしょうあん)にある。
[佐々木克]
『小島英熙著『山岡鉄舟』(2002・日本経済新聞出版社)』▽『大森曹玄著『山岡鉄舟』新版(2008・春秋社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
(三井美恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
1836.6.10~88.7.19
幕末期の幕臣・剣術家,明治初期の侍従。諱は高歩(たかゆき)。飛騨郡代小野朝右衛門高福の子。山岡静山の婿養子。千葉周作に入門し,幕府講武所で剣術世話役となる。1863年(文久3)幕府の浪士募集に際し取締役。68年(明治元)精鋭隊歩兵頭格,大目付を兼ねる。東征軍の東下に対し,駿府で西郷隆盛らと会見,勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた。維新後静岡県ほかで参事・県令を勤めたのち,72年天皇側近となり,82年宮内少輔を辞任。無刀流の創始者。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…また,モーパッサンの《親殺し》を翻案した《名人長二》,同じくサルドゥーの《トスカ》を翻案した《錦の舞衣(まいぎぬ)》なども手がけた。中年以降は山岡鉄舟のもとで禅に傾倒し,その話芸は迫真軽妙の極に達して朝野の名士に愛され,落語家の社会的地位を向上させた。門下には円喬,円右,円左,小円朝,円馬,円遊などの名手がそろい,明治の落語黄金時代を成した。…
…正式には一刀正伝無刀流。開祖は明治維新に活躍した山岡鉄舟。鉄舟は一刀流を学ぶかたわら,禅や書に通じ,1880年悟るところがあり無刀流を立てた。…
※「山岡鉄舟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新