川端 玉章(読み)カワバタ ギョクショウ

20世紀日本人名事典 「川端 玉章」の解説

川端 玉章
カワバタ ギョクショウ

明治・大正期の日本画家 川端画学校創立者;東京美術学校教授。



生年
天保13年3月8日(1842年)

没年
大正2(1913)年2月14日

出生地
京都・高倉二条瓦町

本名
川端 滝之助

別名
別号=敬亭,璋翁

経歴
11歳で円山派の中島来章の門に入り、慶応2年江戸に出て画家として身をたてる。維新後、内国勧業博覧会内国絵画共進会入賞を重ねる。明治11年画塾天真堂(天真社)を開設。21年皇居造営で杉戸絵を制作。また岡倉天心に認められて、21年東京美術学校に迎えられ、23年教授となる。29年帝室技芸員。その後も日本美術協会展、日本画会展、連合絵画共進会などに出品、33年にはパリ万国博で銀牌受賞。40年から44年にかけて文展審査委員を務めた。42年東京・小石川に川端画学校を創立し後進の育成に尽力、その門下からは平福百穂、結城素明など多くの画家を世に出した。円山派最後の巨匠として花鳥画山水画をよくし、代表作に「墨堤春暁図」「桜花鶏図」「荷花水禽図」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「川端 玉章」の解説

川端 玉章 (かわばた ぎょくしょう)

生年月日:1842年3月8日
明治時代;大正時代の画家。東京美術学校教官
1913年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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