円山派(読み)マルヤマハ

デジタル大辞泉 「円山派」の意味・読み・例文・類語

まるやま‐は【円山派】

日本画一派円山応挙を祖として写実的様式展開、日本画の近代化に貢献した。

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精選版 日本国語大辞典 「円山派」の意味・読み・例文・類語

まるやま‐は【円山派】

  1. 〘 名詞 〙 絵画の一派。江戸中期、京都の円山応挙が客観的写生主義を唱えて始め、幕末明治まで続いて、大きな影響力をもった。弟子に、長沢蘆雪・駒井源琦らがいる。

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百科事典マイペディア 「円山派」の意味・わかりやすい解説

円山派【まるやまは】

江戸中期京都に興った円山応挙を祖とする画派琳派(りんぱ)など日本伝統の装飾画法に,沈銓の写生画風や,西洋画の写実技法を加味して,清新な画風を開いた。画家長沢蘆雪,源【き】〔1747-1797〕,山口素絢〔1759-1818〕らがいる。
→関連項目歌川広重太田聴雨川端玉章幸野楳嶺四条派竹内栖鳳森寛斎森狙仙山元春挙

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「円山派」の解説

円山派
まるやまは

江戸後期の京都の画派。円山応挙(おうきょ)を始祖とし,その門人で四条派の祖となった呉春(ごしゅん)の一派とあわせ円山四条派ともいう。平明な写実性と装飾性を融合した応挙の様式は,18世紀半ばの新興市民階層から朝廷社寺にまで広くうけいれられ,その画風を学ぶ者も多く現れた。応挙没後の作風には形式化の傾向もみられるが,応挙の嗣子(しし)応瑞門下の中島来章(らいしょう),来章門下の川端玉章(ぎょくしょう)・幸野楳嶺(こうのばいれい)らは,明治期以降の日本画界で京都を中心に大きな勢力を占めた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「円山派」の解説

円山派
まるやまは

江戸中期以後の写生風日本画の流派
円山応挙が開いた流派で,長沢蘆雪 (ろせつ) ・山口素絢 (そけん) らを輩出し,京都の画壇で大きな勢力をもった。平明でわかりやすい画風であったが,しだいに技巧的となり形式化した。明治期に入り,洋画の画風をとり入れ発展を続けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「円山派」の意味・わかりやすい解説

円山派
まるやまは

円山四条派

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世界大百科事典(旧版)内の円山派の言及

【円山応挙】より

…江戸中期の画家。円山派の創始者。通称は岩次郎,左源太,主水,字は仲均,仲選。…

【円山四条派】より

…江戸中期に興った絵画の流派。円山応挙が開いた円山派と呉春が興した四条派の総称。18世紀中ごろ狩野派土佐派をはじめとする伝統的画派は形式化に陥り,また琳派は尾形光琳のあと卓越した画家に恵まれず,創造性を枯渇させていた。…

※「円山派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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