改訂新版 世界大百科事典 「内国絵画共進会」の意味・わかりやすい解説
内国絵画共進会 (ないこくかいがきょうしんかい)
1882年(明治15)と84年に開催された官営の展覧会。維新とそれに続く文明開化の風潮は,日本固有の美術を衰微させたが,やがて反省が起こり伝統保存の機運が高まった。端緒になったのは1877年に開催された内国勧業博覧会の成功と79年に創立した竜池会(古美術の鑑賞と調査のため,佐野常民らによって組織された)の運動であった。東京大学に招聘(しようへい)されたアメリカ人フェノロサが竜池会で講演し,洋画を排して日本画を尊重すべきことを説いたことが,その機運をいちじるしく助長した。こうして絵画共進会開催の運びとなるが,当局は規則に洋画の出品拒否を掲げた。また管轄が農商務省であったことは,伝統美術工芸の保護がなお殖産興業策につながっていたことを物語る。82年秋の第1回は上野公園で開かれて約2000人が出品し,橋本雅邦,狩野探美,田崎草雲,森寛斎らが銀賞,84年春の第2回には1500余人が出品し,守住貫魚(つらな)が金賞,川辺御楯,山名貫義(つらよし),滝和亭(かてい),幸野楳嶺,雅邦らが銀賞を受賞した。
→共進会
執筆者:原田 実
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報