20世紀日本人名事典 「工藤得安」の解説 工藤 得安クドウ トクヤス 大正・昭和期の解剖学者,人類学者 生年明治21(1888)年12月3日 没年昭和30(1955)年3月15日 出生地東京 学歴〔年〕京都帝国大学医科大学〔大正2年〕卒 学位〔年〕医学博士〔大正10年〕 経歴大正4年新潟医学専門学校教授、昭和26年新潟医科大学を定年退官。両棲類の研究、特にオオサンショウウオの発生に関する知見では世界的に有名。昭和12年「日本のオオサンショウウオの発生学の規準表」はカイベル叢書第16冊としてドイツ・イエナで出版された。このほか人類学の分野では、内臓の人種間の問題、人種胎生学を研究、学位論文は「日本人の肝臓に就て」。また日本の蛍光顕微鏡創案者の一人で著書に「蛍光顕微鏡学」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「工藤得安」の解説 工藤得安 くどう-とくやす 1888-1955 大正-昭和時代の解剖学者。明治21年12月3日生まれ。大正4年新潟医専(のち新潟医大,新潟大)教授。両生類の発生などを研究し,昭和12年「オオサンショウウオの発生基準段階表」をドイツで出版した。日本で蛍光顕微鏡を創案したひとり。昭和30年3月15日死去。66歳。東京出身。京都帝大卒。著作に「蛍光顕微鏡学」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by