左藤義詮(読み)サトウ ギセン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「左藤義詮」の解説

左藤 義詮
サトウ ギセン


肩書
元・大阪府知事,元・防衛庁長官,元・参院議員(自民党)

生年月日
明治32年6月3日

出生地
三重県

学歴
京都帝大文学部選科卒

経歴
大谷高等女学校、神戸高等商船学校教授、大谷学校理事長を経て昭和21年の衆院選に自民党から当選。翌年参院に移り大阪地方区から3回当選し、この間33年6月から半年余り防衛庁長官。34年に大阪府知事選に当選後は3期12年知事を務め、“坊さん知事”を自称しながら、45年には大阪万博を成功させて“万博知事”の異名をとった。ほかに、千里泉北ニュータウンの建設、堺泉北臨海工業地帯の造成など、大阪の骨格づくりを進めた。

没年月日
昭和60年1月9日

家族
父=左藤 了秀(大谷学園創立者) 長男=左藤 恵(衆院議員) 二男=河野 弘(河野薬品社長) 三男=左藤 孜(NHK大阪放送局長) 孫=左藤 章(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「左藤義詮」の解説

左藤 義詮
サトウ ギセン

昭和期の政治家 元・大阪府知事;元・防衛庁長官;元・参院議員(自民党)。



生年
明治32(1899)年6月3日

没年
昭和60(1985)年1月9日

出生地
三重県

学歴〔年〕
京都帝大文学部選科卒

経歴
大谷高等女学校、神戸高等商船学校の教授、大谷学校理事長を経て昭和21年の衆院選に自民党から当選。翌年参院に移り大阪地方区から3回当選し、この間33年6月から半年余り防衛庁長官。34年に大阪府知事選に当選後は3期12年知事を務め、“坊さん知事”を自称しながら、45年には大阪万博を成功させて“万博知事”の異名をとった。ほかに、千里・泉北ニュータウンの建設、堺泉北臨海工業地帯の造成など、大阪の骨格づくりを進めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「左藤義詮」の解説

左藤義詮 さとう-ぎせん

1899-1985 昭和時代後期の政治家。
明治32年6月3日生まれ。真宗大谷派の僧。昭和21年衆議院議員,翌年参議院議員(当選3回,自民党)。第2次岸内閣の防衛庁長官などをへて,34年大阪府知事。45年の大阪万国博覧会の開催につくした。昭和60年1月9日死去。85歳。三重県出身。京都帝大文学部選科修了。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「左藤義詮」の解説

左藤 義詮 (さとう ぎせん)

生年月日:1899年6月3日
昭和時代の政治家。参議院議員
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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