巨勢寺跡(読み)こせでらあと

日本歴史地名大系 「巨勢寺跡」の解説

巨勢寺跡
こせでらあと

[現在地名]御所市大字古瀬

曾我そが川西岸にあった古代寺院。多数の礎石・古瓦が出土し、塔心礎が残る。「日本書紀」朱鳥元年(六八六)八月二三日条に「巨勢寺に二百戸を封す」とみえ、延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の葛上かつじよう石摩いしま荘の項に「巨勢寺田二町二段 卅六条四里廿七坪一丁 廿九坪二反 高天五里三坪一丁」とみえ、平安期にも奈良興福寺末寺として当寺が存続したことがわかる。しかし、徳治三年(一三〇八)七月日の廃巨勢寺別当領水田寄進状(春日大社文書)には巨勢寺が荒廃したため、旧領の高市たかいち郡三五条二里三〇坪・同三六条二里二四坪などの地二町一段を春日社談義料田として寄進したことがみえ、すでに鎌倉末期には廃寺になっていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む