改訂新版 世界大百科事典 「巨勢広貴」の意味・わかりやすい解説
巨勢広貴 (こせのひろたか)
平安中期,一条天皇の代(986-1011)を代表する巨勢派の宮廷画家。生没年不詳。弘高とも記される。藤原道長の黄金時代にあたり,日本の絵画における古典的様式を確立した人物と考えられる。作品はのこらないが,999年(長保1)に道長の長女彰子入内の調度である歌絵冊子を,また1010年(寛弘7)同じく次女姸子入東宮料として屛風を描く(《栄華物語》)。また道隆邸の楽府屛風(《大鏡》),行成が供養した世尊寺の障子絵(1001)を制作した。また行成の依頼で不動尊像(999)などの仏画や花山院の命による性空上人像(1002)を描く(《権記》)など宮廷画家として幅広い作画活動が知られている。《栄華物語》には当時の屛風の画風について,飛鳥部常則・為氏のそれが〈古代〉であるのに広貴のそれは〈いみじうこそなまめかしけれ〉と評され,また〈金岡は山を畳むこと十五重,広高は五重なり〉(《雅兼卿記》)といわれているように,彼は前代の常則のころはじめられたやまと絵をさらに当時の嗜好に合った新様式に展開させたものと思われる。
→巨勢派
執筆者:田口 栄一
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