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飛鳥部常則 あすかべのつねのり

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

飛鳥部常則
あすかべのつねのり

10世紀なかば,村上朝に活躍した宮廷画家。作品は伝わっていないが,天暦8 (954) 年村上天皇筆の『法華経』表紙絵その他を描いた記録があり,天禄3 (972) 年には賀茂祭の祓の作物の制作にたずさわった。

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デジタル大辞泉の解説

あすかべ‐の‐つねのり【飛鳥部常則】

平安中期、村上天皇のころの宮廷絵師。生没年未詳。作品は現存しないが、源氏物語にその名がみえ、唐風に代わる日本的な絵画の発展に寄与したとされる。

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百科事典マイペディアの解説

飛鳥部常則【あすかべのつねのり】

10世紀後半の宮廷絵所絵師。巨勢公忠・公望(巨勢派)と並び称された。《冷泉院神泉苑絵図》や村上天皇法華八講のために経巻の表紙絵を描き,さらに清涼殿に白沢王像を描いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

飛鳥部常則 あすかべの-つねのり

?-? 平安時代中期の画家。
宮廷に絵師としてつかえ,天暦(てんりゃく)8年(954)の村上天皇筆「法華経」の表紙絵や清涼殿の白沢王像,藤原彰子の入内(じゅだい)の調度「倭絵屏風(やまとえびょうぶ)」などをえがくが,作品は現存しない。のちのやまと絵様式の形成におおきな影響をあたえたとされる。名は経則ともかく。

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朝日日本歴史人物事典の解説

飛鳥部常則

生年:生没年不詳
平安中期の宮廷絵師。天暦8(954)年,村上天皇書写の金字法華経ほかの制作に加わる。康保1(964)年,清涼殿西庇南壁に白沢王像を描く。天禄3(972)年,御祓に用いる牛馬犬鶏などに彩色する。藤原行成の日記『権記』によれば,長保1(999)年の藤原彰子入内の調度に「故常則絵」の「倭絵四尺屏風」があったという。これはやまと絵という用語の早い例である。また『源氏物語』に絵の名手としてその名がみえ,「常則をば大上手,(巨勢)公望をば小上手」(『古今著聞集』)と称されたと伝えられる。作品は現存しない。<参考文献>秋山光和『平安時代世俗画の研究』

(長谷川稔子)

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世界大百科事典 第2版の解説

あすかべつねのり【飛鳥部常則】

10世紀半ば,村上朝に活躍した宮廷画家。生没年不詳。作品は全くのこっていないが,954年(天暦8)村上天皇筆の法華経の表紙絵,958年(天徳2)村上天皇の女御芳子の調度屛風,964年(康保1)には清涼殿に白沢王の像を描いたことなどが知られている(《村上天皇御記》)。999年(長保1)の藤原彰子入内のための倭絵四尺屛風は〈故常則画〉と記され(《権記》),没年の下限が推定されるばかりでなく,〈やまと絵(倭絵)〉という語の最も古い用例として著名。

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大辞林 第三版の解説

あすかべのつねのり【飛鳥部常則】

平安中期の宮廷絵師。954~972年の事跡が文献に残る。作品は伝わらないが、大和絵の風景画・風俗画の様式展開に大きな役割を果たしたと推測される。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

飛鳥部常則
あすかべつねのり

生没年不詳。平安中期、村上(むらかみ)天皇(在位946~967)の時代に活躍した画人で、10世紀末に没した。『村上天皇御記』によると、955年(天暦9)の宸筆法華八講(しんぴつほっけはちこう)には経巻の表紙絵を、964年(康保1)には清涼殿に白沢王像を描いている。また972年(天禄3)には歳末の御祓(おはらい)のために牛、馬、犬、鶏などを形づくった。そのほか『栄花物語』には宮中の屏風絵(びょうぶえ)も制作したことが記されている。死後もなお名声は高く、『源氏物語』などにもその名が登場している。平安時代の絵画史においてエポック・メーキングな作画活動を行った、当代を代表する画人の一人である。[加藤悦子]

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世界大百科事典内の飛鳥部常則の言及

【やまと絵】より

…しかし9世紀後半ころから日本(倭,やまと)の風景や風俗を描くことが始まると,これをやまと絵と呼び,前者をその反対概念である唐絵(からえ)として両者を区別した。〈やまと絵〉という言葉は,長保元年(999)の《権記》にみえる藤原彰子入内のため調えられた飛鳥部常則画の〈倭絵四尺屛風〉を初出として平安時代に10余例が知られる。その文献的な研究によれば,〈倭絵〉は〈唐絵〉とともに大画面の障屛(しようへい)画形式の絵画に対して用いられ,両者は画題上の区別であり,様式的な差異を意味するものではなかったことが指摘されている。…

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