10世紀半ば,村上朝に活躍した宮廷画家。生没年不詳。作品は全くのこっていないが,954年(天暦8)村上天皇筆の法華経の表紙絵,958年(天徳2)村上天皇の女御芳子の調度屛風,964年(康保1)には清涼殿に白沢王の像を描いたことなどが知られている(《村上天皇御記》)。999年(長保1)の藤原彰子入内のための倭絵四尺屛風は〈故常則画〉と記され(《権記》),没年の下限が推定されるばかりでなく,〈やまと絵(倭絵)〉という語の最も古い用例として著名。また《源氏物語》には,彼の描いた宇津保物語絵を評して〈いまめかしうおかしげに〉とあり,9世紀後半ころからはじまった日本の風景・風俗を描いたいわゆる〈やまと絵〉の新たな様式展開を巨勢公忠,公望らと共に担った画家として位置づけられる。
執筆者:田口 栄一
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生没年不詳。平安中期、村上(むらかみ)天皇(在位946~967)の時代に活躍した画人で、10世紀末に没した。『村上天皇御記』によると、955年(天暦9)の宸筆法華八講(しんぴつほっけはちこう)には経巻の表紙絵を、964年(康保1)には清涼殿に白沢王像を描いている。また972年(天禄3)には歳末の御祓(おはらい)のために牛、馬、犬、鶏などを形づくった。そのほか『栄花物語』には宮中の屏風絵(びょうぶえ)も制作したことが記されている。死後もなお名声は高く、『源氏物語』などにもその名が登場している。平安時代の絵画史においてエポック・メーキングな作画活動を行った、当代を代表する画人の一人である。
[加藤悦子]
(長谷川稔子)
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…しかし9世紀後半ころから日本(倭,やまと)の風景や風俗を描くことが始まると,これをやまと絵と呼び,前者をその反対概念である唐絵(からえ)として両者を区別した。〈やまと絵〉という言葉は,長保元年(999)の《権記》にみえる藤原彰子入内のため調えられた飛鳥部常則画の〈倭絵四尺屛風〉を初出として平安時代に10余例が知られる。その文献的な研究によれば,〈倭絵〉は〈唐絵〉とともに大画面の障屛(しようへい)画形式の絵画に対して用いられ,両者は画題上の区別であり,様式的な差異を意味するものではなかったことが指摘されている。…
※「飛鳥部常則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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