屛風(読み)びょうぶ

改訂新版 世界大百科事典 「屛風」の意味・わかりやすい解説

屛風 (びょうぶ)

本来は風よけの家具で,室内間仕切り,また絵画やさまざまな加飾によって室内装飾用などともなった。

漢代の字書《釈名》が〈以て風を屛障す可し〉というように,そもそも屛風は床(しよう)の後ろに置く風よけの家具であった。当時の家屋構造は,後世のように壁による間仕切りがきちっとなされていなかった。〈屛風〉の語が熟するのは漢代からで,それ以前は〈斧扆(ふい)〉〈斧依〉が屛風にあたる。屛風の面に斧文が刺繡されていて,これによりかかるものであったので斧扆と呼ばれた。天子は8尺の高さの斧扆を背にして南面したという。

 漢代の屛風は,木骨を絹帛などで張って屛面をしつらえるのが一般的であった。近年,長沙馬王堆1号漢墓より実物を模した明器として,横長の長方形,漆塗の雲気中に舞う竜を描いた装飾屛風が出土したが,遺冊の記載によれば,実物は〈木五菜(彩)画幷(屛)風一,長五尺,高三尺〉であった。漢代の5尺はほぼ1.2mである。漢代の屛風はこのほか,画像石などに描かれた画像により知りうるが,魏晋南北朝の貴族社会において,日常の起居,来客,宴会に王侯貴族の室内空間をいろどる家具として欠かせない奢侈(しやし)品であった。金銀,雲母,琉璃,雑玉,亀甲などの材に贅(ぜい)をつくした屛風が文献に残り,屛風絵にも意匠がこらされた。〈曹不興,呉興の人なり。孫権,屛風に画かしむ。誤って筆を落とし素(しろぎぬ)を点す。因って就きて蠅の状を成す。権は其の真なるかと疑い,手を以てこれを弾(はじ)く〉とは,《歴代名画記》が伝える〈蠅の逸話〉であるが,このころの絹帛の屛面に描かれた題材は歴史故事,賢臣,烈女,神仙,瑞応の類がそのおもなものであった。

 北魏の司馬金竜墓より出土した漆屛風は,豪奢をきわめた屛風絵を実証するもので,もともと〈十二牒〉,つまり12扇の折り畳みのものであったと思われるが,そのうち5扇がほぼ完全な形で残っており,劉何の《列女伝》にもとづいて〈和帝□后〉〈衛霊公〉〈霊公夫人〉などが生き生きと描かれたものである。一方,丹青による文飾を排したいわゆる〈素屛風〉も高雅を尊ぶ人士には好まれもした。唐代になると,製紙技術の発達を反映して木骨紙面の廉価な屛風は一般家庭の調度品として普及する。白居易の《素屛謡》は,彼の起居の友,愛すべき素屛風を詠い,絢爛(けんらん)たる屛風を俗悪としてしりぞけた詩であるが,〈李陽冰の篆字,張旭の筆跡,辺鸞の花鳥,張璪の松石〉で屛面を飾るのが当世の流行であったという。宮廷,貴豪の屛風絵は鑑戒画,歴史事跡が主流を占めたが,貞観の治で臣下をよく用いた唐の太宗は坐臥の屛風に地方官の名を書し,職務の善悪・行跡の評定をそれぞれの名の下に注して官職の黜陟(ちつちよく)に備え地方行政に意をつくした。

 五代・宋以降,日常の家具に椅子,卓(テーブル)が出現して生活習俗の変容をみるが,屛風も《韓煕載夜宴図》に描かれた屛風などで知られるように人の身長を超える大型のものも製作され,屛風を背に椅座の生活が普通になる。屛風画の題材も花卉,山水などに加えて新たに水波紋があしらわれたり,水竜が描かれたりする。とりわけは皇帝の象徴として皇帝用の屛風の装飾に必ず施された。故宮博物院に残る屛風のなかに紫檀づくり,高さ3m余,雲竜紋の屛風は清朝を代表する工芸品の一つと称される。なお,屛風は室内のほかに家の正面入口にも設置されたが,これは中国の典型的住宅である四合院の構造にみられる照壁や中庭の数進(奥行を示す量詞)の区切りと同じように,来客によってたちどころに家屋内の全貌が見透かされる(〈一覧無余〉)のを忌むと同時に,来客が一進するごとにあたかも洞天福地に踏み入れるかの感を与えるための美学にもとづくという。
執筆者:

日本における屛風は,一般に縦長長方形の木枠に,紙や布を張ったものを1単位(1扇)とし,これを2扇,4扇,6扇,8扇,10扇とつなぎ合わせ,折り畳めるよう作られている。六曲一双(6扇のもの二つで一組)を基準とし,高さ5尺前後を本間(ほんま)屛風,3尺前後を小(こ)屛風と呼ぶ。表面に絵や書などを書いたもの,金屛風,網代(あじろ)屛風,弓箭(ゆみや)屛風,衣桁(いこう)屛風など種類は多い。日本での屛風の記録は《日本書紀》天武天皇の朱鳥元年(686)の条に新羅から献上されたという記事がもっとも古い。奈良時代の正倉院遺品などによると,作り方,絵柄とも中国式で,1扇ごとに独立して,各扇は接扇という革紐で結んでつなげる形式のものであったが,中世になると接扇の部分に紙の蝶番(ちようつがい)が工夫された。縁の接合部分を何段かに分けて紙を交互に食い違えて張ることにより,各扇は前後に折り畳めるようになり簡便になった。また各扇ごとの縁が不要になったため,ひろげれば大きな一画面を作れるようになって,絵柄も自由になった。これが今日につながる日本式屛風であるが,外国人にも珍重されて室町時代以来,明,朝鮮,スペイン,ポルトガルなどへもさかんに輸出された。明では軟屛風といって,おおいに珍重されたというが,ポルトガルではビョンボbiomboといって,そのままポルトガル語にまでなったという。屛風は使われ方からみると,古代には主として間仕切り用,儀式用として用いられていたが,中世から近世にかけては装飾用として,また鑑賞用として用いられ,江戸時代からは庶民階級にも用いられるようになった。
衝立(ついたて)
執筆者:

西洋では屛風に相当するものにスクリーンscreenがある。室内に立てて人目,隙間風,暖炉の熱を遮ったり,部屋の装飾や間仕切りに使う家具の一種で,パネルが1枚だけの衝立型のものや数枚のパネルを蝶番で連結した折り畳み式のものなどがある。衝立型のものには一対の脚がつき,シュバル・スクリーンcheval screenと呼ばれた。小型のものは特に暖炉用に使われる。素材には木,布,紙,竹などのほか,革細工で金箔を施した豪華なものもある。18世紀には,小型パネルを三脚台の棒(ポール)に取り付けて上下に可動できる〈ポール・スクリーンpole screen〉が暖炉の前に置かれ,温度調節と装飾のために愛用された。中世には領主館で隙間風による暖炉の火をまもるための実用的な家具として発達したが,時代の進展にともなって実用性からしだいに装飾性が重視されるようになった。18世紀のロココ時代には板張りに花模様の彫刻を施したもの,6扇の上部が波状形をなしたもの,壁掛や椅子に張った織物と調和する華麗なタピスリーや手描きの草花,シノアズリー(中国趣味)調のものなどが流行した。また17世紀から輸入されていた中国や日本の屛風も室内を飾り,その技法や形式をまねたものもさかんに作られた。19世紀末にはジャポニスムの画家たちによって屛風が目新しいカンバスとして再発見され,ボナールやルドンなどが作品を残している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の屛風の言及

【障子】より

…一方,同じ清涼殿内の〈荒海障子〉や紫宸殿の〈賢聖(けんじよう)障子〉は嵌(は)め殺しの襖の形式をみせている。これらの事実と《日本後紀》弘仁3年(812)の〈屛風一帖,障子卌六枚を東寺に施入す〉という記事を勘案するならば,障子は屛風とならぶ障屛具で,前者が格子の両面に布または紙をはって一枚の板状にしたもので,現在の襖と衝立の総称であったのに対し,後者はそれを6枚連ねて一組とし,折り畳む形式にしたものと解釈できよう。〈衝立〉が語として成立する時期は明確でないが,《枕草子》にあらわれる〈衝立障子〉はその早い例である。…

【染色】より

…正倉院御物のなかで染織品に関するものは大略次の四つに分けられる。その第1は聖武天皇の遺品の調度類で,屛風類が非常に多い。現在は40扇しか残っていないが,献物帳には6曲100畳があったと記され,このなかに纈(きようけち)屛風が65畳,﨟纈(ろうけち)屛風が10畳記載されている。…

【山水屛風】より

…真言密教の寺院で,灌頂(かんぢよう)の儀式の際に使用される屛風。文献的には,10世紀ころから宮中などで用いられていた一般的な調度としての屛風が,しだいに灌頂の場に進出し,14世紀には既に重要な灌頂用具となっていたことがわかる。…

【仏画】より

…額絵は壁面から独立して安置する移動性を得たが,収蔵には不便であり,画面毀損のおそれもあって,小型化への道をたどったものの,衰微せざるを得なかった。(4)屛風 正倉院の屛風は,各扇独立の構図で縁をめぐらし,周りの環に紐を通して各扇をつなぎ合わせており,額絵を連結する古様を示している。平安時代になると各扇が折りたためるようになり,六曲屛風を広げると,統一した画面となるものが描かれた。…

※「屛風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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