朝日日本歴史人物事典 「巨勢麻呂」の解説
巨勢麻呂
生年:生年不詳
7世紀末~8世紀初の官僚。大海の孫,紫檀の子。持統7(693)年直広肆に昇り,慶雲2(705)年民部卿。和銅1(708)年左大弁となったが,そのとき穂積親王や左右大臣らと共に特に忠勤を賞されて,正四位下に叙せられている。翌年には鎮東将軍となって陸奥に赴いているが,その経験が,のちに参議になった折,東北経略の一策を進言させることになった。すなわち,「吏民少なく,地広い」出羽国(秋田県,山形県)に,陸奥国置賜,最上の2郡と,信濃(長野県),上野(群馬県),越前(福井県),越後(新潟県)の百姓各100戸を移して,東北経営の実をあげさせようとするものであり,この献策は実行された。死没時,中納言従三位。
(狩野久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報