朝日日本歴史人物事典 「巨勢紫檀」の解説
巨勢紫檀
生年:生年不詳
7世紀後半の官人。『続日本紀』養老1(717)年1月己未条によれば,父は推古朝の小徳,大海。子は麻呂。名は辛檀努,志丹とも書く。大化1(645)年8月東国国司の次官として派遣された。翌年3月19日,長官の不正を正さずその責任が問われたが,同日の大赦によって許された。天武13(684)年臣姓から朝臣姓に変わり,翌年京職大夫で死去した。
(清田善樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報