コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

市川三左衛門 いちかわ さんざえもん

2件 の用語解説(市川三左衛門の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

市川三左衛門 いちかわ-さんざえもん

1816-1869 江戸時代後期の武士。
文化13年4月生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。代々つたわる三左衛門の名をつぎ,大寄合(よりあい)頭となる。佐幕派の諸生党を指導し,元治(げんじ)元年(1864)天狗(てんぐ)党の乱鎮圧につとめ,執政として水戸城を占拠。明治元年新政府軍とたたかい,2年4月3日処刑された。54歳。名は弘美。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

市川三左衛門

没年:明治2.4.3(1869.5.14)
生年:文化13.4(1816)
幕末の水戸藩諸生党の指導者。諱は弘美,父は市川弘教,母は岡部以従の娘。水戸生まれ。天保14(1843)年に家督相続。万延1(1860)年2月大寄合頭。戊午の密勅に関し返納反対を唱える長岡勢の弾圧を主張,諸生党の重鎮として幕府の信任を得,文久1(1861)年,藩内取締掛。元治1(1864)年,激派の筑波山挙兵に対し諸生党を率いて敵対,激派の執政武田耕雲斎らの失脚に鎮派と連携して成功,執政。藩主目代松平頼聡の水戸入城を拒み,幕府軍と共に頼聡軍を降伏させ,武田耕雲斎が率いる激派軍を西上に追い込んだ。大政奉還により執政免職,明治1(1868)年3月朝廷よりの処罰命令で兵を率いて会津に脱走。一旦,水戸に戻り弘道館を占拠したが結局敗北して東京に潜伏。同2年2月に逮捕され生き晒し,茨城郡長岡村(茨城県茨城町)で逆磔に処せられた。海外脱出に備えフランス語を学んでいたという。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

市川三左衛門の関連キーワード新井源八郎飯田総蔵片岡常道佐々与衛門床井荘三福地政次郎三浦贇男三木直水野哲太郎有仁

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone