市川慶蔵(読み)イチカワ ケイゾウ

20世紀日本人名事典 「市川慶蔵」の解説

市川 慶蔵
イチカワ ケイゾウ

昭和期の教育者 更級郡教職員組合執行委員長。



生年
明治35(1902)年3月1日

没年
昭和45(1970)年3月28日

出生地
長野県更級郡稲荷山町(現・千曲市)

学歴〔年〕
長野県師範学校第二部〔大正9年〕卒

経歴
稲荷山小学校在学中、白樺派の教師笠井三郎に影響を受け、教員を志す。大正9年長野県師範学校第二部を卒業後、東京の小学校に勤務。間もなく病気のため退職するが、昭和14年郷里長野県の小学校に復職した。太平洋戦争後の昭和22年更級郡更府小学校校長に就任。次いで、23年の更級郡教職員組合の結成とともに同執行委員長に選ばれた。しかし、その組合活動のために長野県軍政府教育官のケリーが指揮した教育異動(いわゆるケリー旋風)のために、25年退職を命ぜられた。39年佐久教育学研究会会員。著書に、ケリー旋風時の回想であるとともに、占領下における教育界の貴重な記録でもある「黒い嵐」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川慶蔵」の解説

市川慶蔵 いちかわ-けいぞう

1902-1970 昭和時代の教育者。
明治35年3月1日生まれ。白樺派教師笠井三郎の影響をうける。昭和14年郷里長野県の小学校教師となり,22年更府小学校長,23年更級郡(さらしなぐん)教職員組合執行委員長。24年長野県軍政部教育官ケリーが関与した教員異動で,組合運動理由に休職させられた。昭和45年3月28日死去。68歳。長野師範(現信州大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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