市川新田
いちかわしんでん
[現在地名]市川市新田一―三丁目・同五丁目・市川南二丁目・南八幡五丁目など
市川村の東に接し、佐倉道に沿って集落が形成された。のちに代々名主を勤めた田中家の先祖正成(明暦元年没)の主導で開かれた新田と伝える。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に新田名がみえ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一六七石余、幕府領。旧高旧領取調帳でも同領。同一四年の検地帳(田中家文書)によると、反別は田二一町九反余・畑九町二反余・屋敷一町二反余、検地誓紙には村役人を含めて一九名の百姓が連印している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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