松戸宿(読み)まつどしゆく

日本歴史地名大系 「松戸宿」の解説

松戸宿
まつどしゆく

[現在地名]松戸市松戸・本町

近世、松戸町内に置かれた水戸道の宿場。水戸道の起点となる日光道中千住せんじゆ宿(現東京都足立区)から数えて三宿目にあたり、江戸(日本橋)からは四里三二町二二間。新宿にいじゆく(葛西新宿ともいう。現東京都葛飾区)小金こがね宿との間を継送った。当地で江戸川沿いに北上して流山を経て野田に至る松戸―野田往還、佐倉道沿いの市川に通じる道などが分岐した。水戸道のうち当宿までは日光道中付の道として五街道同様に道中奉行の支配を受けていたが、小金宿から先は勘定奉行の支配となっていた。宿の成立年代は明らかではないが、水戸道の整備に伴って近世初期には宿場となっていたものと思われる。延宝二年(一六七四)には高札が下され、当宿から葛西かさい(新宿)・小金、行徳ぎようとく八幡やわた(現市川市)、流山までの駄賃・人足賃などが定められている(伊藤家文書)。宿村大概帳によると常置人馬は二五人・二五疋、うち五人・五疋は囲人馬。旅籠は二八軒あり、うち大八軒・中七軒・小一三軒、問屋場は一ヵ所で、問屋・年寄・帳付各一人、馬指二人が詰めていた。地子免許はなかったが、高掛三役のうち六尺給米・御蔵前入用は免除された。また天保九年(一八三八)の各宿(町村)までの路程・駄賃・人足賃は、八幡まで二里九町、荷物一駄・乗掛各九五文、軽尻六二文・人足四八文、葛西まで一里五町、荷物一駄・乗掛各六九文、軽尻四六文・人足三五文、小金まで一里二五町、荷物一駄・乗掛各七七文、軽尻四九文・人足三九文、行徳まで二里三一町、荷物一駄・乗掛各一二四文、軽尻七七文・人足七〇文、流山まで二里一一町、荷物一駄・乗掛各一〇一文、軽尻六四文・人足四九文であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松戸宿の言及

【松戸[市]】より

…78年には武蔵野線が開通,人口増加にともない,JRや新京成電鉄の主要駅周辺に大型小売店が核となって新商店街ができ,ことにJR松戸駅前商店街の再開発が完成して,それまで東京に流出していた消費者の多くを吸収するようになった。【菊地 利夫】
[松戸宿]
 江戸川に面した下総国の河港,宿場町。《更級日記》の作者菅原孝標女が太日川(現,江戸川)のほとりに一泊した〈まつさとのわたり〉はここであろうという。…

※「松戸宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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