新撰 芸能人物事典 明治~平成 「市川朝太郎」の解説
市川 朝太郎
イチカワ アサタロウ
- 職業
- 俳優
- 本名
- 山本 幸三郎
- 旧名・旧姓
- 加藤
- 別名
- 旧名=市川 蝠丸,市川 蝠之
- 生年月日
- 明治34年 6月
- 出生地
- 神奈川県 横浜市
- 経歴
- 養家先の親類市川団右衛門に歌舞伎俳優として育てられる。初め市川蝠丸、のち蝠之を襲名。歌舞伎の世界にあきたらず、2代目市川猿之助の春秋座や心座に参加。昭和5年日活太秦撮影所に入社し「維新暗流史」などに出演。8年芸術座で水谷八重子の相手役をつとめ、「唐人お吉」の鶴松役で白井信太郎に認められ、9年トーキー時代に備えて新興京都に迎えられた。市川朝太郎と改名し、「忠次売出す」で映画初主演。早川雪洲の「国難を叫ぶ日蓮」などに出演後はP.C.Lに転じ、13年長谷川一夫主演「藤十郎の恋」などに出演したが、のち退社。戦時中は移動劇団を結成して各地を巡演、戦後は「天下の御意見番に意見する男」(22年)他に出演した。
- 没年月日
- 昭和24年 2月16日 (1949年)
- 家族
- 妻=香住 佐代子(女優),弟=加戸 敏(映画監督)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報