早川雪洲(読み)ハヤカワセッシュウ

デジタル大辞泉 「早川雪洲」の意味・読み・例文・類語

はやかわ‐せっしゅう〔はやかはセツシウ〕【早川雪洲】

[1889~1973]俳優千葉の生まれ。本名金太郎渡米ハリウッドで「タイフーン」「チート」などの作品出演。のち、自ら製作会社を設立して映画製作にも進出舞台俳優としても、ブロードウエーやロンドン・パリなどで活躍した。第二次大戦後日本拠点にしながら国際的に活動

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「早川雪洲」の解説

早川 雪洲
ハヤカワ セッシュウ


職業
俳優

本名
早川 金太郎

別名
英語名=Hayakawa Sessue

生年月日
明治19年 6月10日

出生地
千葉県 安房郡七浦村(南房総市)

学歴
海城中卒,シカゴ大学〔大正2年〕卒

経歴
明治42年米国に渡り、シカゴ大学で政治学を専攻するが演劇に興味を抱く。誘われて邦人劇団に加わり巡業中、トーマス・インスに認められ、大正3年(1914)パラマウント社に入社。「タイフーン」「ザ・チート」などに主演し人気スターとなる。その後渡欧して映画・舞台で活躍し、昭和7年帰国。12年「新しき土」に出演後、渡仏、フランス映画「ヨシワラ」などに出演。24年帰国し、「レ・ミゼラブル」「山下奉文」など日本映画に出演する一方、32年にはデービッド・リーン監督の「戦場にかける橋」で日本将校を好演し国際的に知られた。日本が生んだ最大の国際映画スターであった。自伝に「武者修行世界をゆく」がある。

受賞
紫綬褒章〔昭和35年〕,勲四等瑞宝章〔昭和41年〕

没年月日
昭和48年 11月23日 (1973年)

家族
妻=青木 鶴子(女優),息子=早川 雪夫(放送作家),二女=平井 冨士子(クラシックバレエ指導者)

伝記
映画は光と影のタイムトラベル―映画プログラムの時代20世紀特派員〈5〉聖林輪舞―セルロイドのアメリカ近代史シネマと銃口と怪人―映画が駆けぬけた二十世紀追想の扉ハリウッドの怪優 上山草人とその妻山川浦路ハリウッドの日本人―「映画」に現れた日米文化摩擦銀幕(screen)より愛をこめてビジュアル版・人間昭和史〈10〉 国際交流の旗手 加納 一郎 著産経新聞「20世紀特派員」取材班 著島田 荘司 著内藤 誠 著淀川 長治 著三田 照子 著垣井 道弘 著淀川 長治 著(発行元 パピルスあい,社会評論社〔発売〕扶桑社徳間書店平凡社ティビーエス・ブリタニカ日本図書刊行会,近代文芸社〔発売〕文芸春秋朝日新聞社講談社 ’05’01’00’97’96’96’92’90’87発行)

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改訂新版 世界大百科事典 「早川雪洲」の意味・わかりやすい解説

早川雪洲 (はやかわせっしゅう)
生没年:1889-1973(明治22-昭和48)

映画俳優。Sessue Hayakawaとして知られた国際的なスターで,日本からの国際俳優の先駆者。千葉県に生まれ,1909年に渡米。日本人主演の本格的アメリカ映画第1号となったトマス・インス監督《神の怒り》(1914)をデビュー作として,レジナルド・バーカー監督《タイフーン》(1914),セシル・B.デミル監督《チート》(1915)および《テンプテーション》(1916)等々サイレント初期のアメリカ映画に主演,たちまちその性的魅力でアメリカ女性を魅惑して人気スターになり,異民族の男性の美しさやセックス・アピールを売物にするハリウッドの風潮をつくったとすらいわれる(ルドルフ・バレンチノが登場するのはそれから数年後のことになる)。トーキー以後は性格俳優として国際的に活躍し,デビッド・リーン監督《戦場にかける橋》(1957)の日本人の捕虜収容所長の役がもっとも強烈な印象を残した名演として知られる。女優青木鶴子と結婚して共演作も多い。フランス映画《ラ・バタイユ》(1923),《犠牲》(1924),《ヨシワラ》(1937),日独合作映画《新しき土》(1936),日本映画《遥かなり母の国》(1950),《レ・ミゼラブル》(1950)等々にも出演している。自伝《武者修業世界をゆく》(1959)がある。
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20世紀日本人名事典 「早川雪洲」の解説

早川 雪洲
ハヤカワ セッシュウ

大正・昭和期の俳優



生年
明治19(1886)年6月10日

没年
昭和48(1973)年11月23日

出生地
千葉県安房郡七浦村(現・千倉町大川)

本名
早川 金太郎

別名
英語名=Hayakawa Sessue

学歴〔年〕
海城中卒,シカゴ大学〔大正2年〕卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和35年〕,勲四等瑞宝章〔昭和41年〕

経歴
明治42年米国に渡り、シカゴ大学で政治学を専攻するが演劇に興味を抱く。誘われて邦人劇団に加わり巡業中、トーマス・インスに認められ、大正3年(1914)パラマウント社に入社。「タイフーン」「ザ・チート」などに主演し人気スターとなる。その後渡欧して映画・舞台で活躍し、昭和7年帰国。12年「新しき土」に出演後、渡仏、フランス映画「ヨシワラ」などに出演。24年帰国し、「レ・ミゼラブル」「山下奉文」など日本映画に出演する一方、32年にはデービッド・リーン監督の「戦場にかける橋」で日本将校を好演し国際的に知られた。日本が生んだ最大の国際映画スターであった。自伝に「武者修行世界をゆく」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「早川雪洲」の意味・わかりやすい解説

早川雪洲
はやかわせっしゅう
(1889―1973)

映画俳優。本名金太郎。千葉県千倉(ちくら)の網元の家に生まれる。海軍兵学校の試験に失敗して渡米、シカゴ大学に学ぶ。学生時代から演劇に興味を抱き、一座を組織して日本人移民グループの間を巡業中、映画製作者トマス・H・インスを知り、彼の紹介で1914年(大正3)パラマウント社に入社、『タイフーン』に主演して一躍名声を得る。以後、その東洋人的風貌(ふうぼう)と演技力を買われ、アメリカ映画『ザ・チート』、フランス映画『ラ・バタイユ』『ヨシワラ』などに国際俳優として活躍、ときおり帰国して映画・舞台に出演したが、第二次世界大戦終結はパリで迎えた。49年(昭和24)以降は日本に定住、『レ・ミゼラブル』などの日本映画に出演した。イギリス映画『戦場にかける橋』(1957)の捕虜収容所長斎藤大佐役は彼の演技歴の最高峰と評価されている。

[吉田智恵男]

『野上英之著『聖林ハリウツドの王 早川雪洲』(1986・社会思想社)』

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百科事典マイペディア 「早川雪洲」の意味・わかりやすい解説

早川雪洲【はやかわせっしゅう】

映画俳優。本名金太郎。千葉県生れ。1909年アメリカに渡る。サイレント映画《神の怒り》《タイフーン》(ともに1914年)に主演し,日本人初の国際スターとなった。トーキー以後もD.リーン監督《戦場にかける橋》(1957年)などで性格俳優として活躍した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「早川雪洲」の意味・わかりやすい解説

早川雪洲
はやかわせっしゅう

[生]1889.6.10. 千葉
[没]1973.11.23. 東京
映画俳優。 1909年渡米し,しろうと劇団で巡業中,『タイフーン』 (1914) の主役として迎えられた。以後アメリカを中心に,フランス,イギリスなどで多くの映画や舞台に出演,国際的に幅広い人気を得た。主演作品『チート』 (15) ,『ラ・バタイユ』 (23) ,『新しき土』 (47) ,『戦場にかける橋』 (57) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川雪洲」の解説

早川雪洲 はやかわ-せっしゅう

1886-1973 大正-昭和時代の映画俳優。
明治19年6月10日生まれ。42年渡米し,シカゴ大卒業後,劇団を組織して巡業。大正3年ハリウッド入りし,「タイフーン」「チート」に主演。国際俳優として活躍し,戦後は「戦場にかける橋」での好演が知られる。昭和48年11月23日死去。87歳。千葉県出身。本名は金太郎。

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367日誕生日大事典 「早川雪洲」の解説

早川 雪洲 (はやかわ せっしゅう)

生年月日:1886年6月10日
大正時代;昭和時代の映画俳優
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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