20世紀日本人名事典 「市川紀元二」の解説 市川 紀元二イチカワ キゲンジ 明治期の陸軍中尉 日露戦争で戦死した最初の学徒出身兵。 生年明治6年2月17日(1873年) 没年明治38(1905)年3月7日 出生地静岡県中泉町(現・磐田市) 旧姓(旧名)青山 学歴〔年〕東京帝大工科大学卒 経歴青山家に生まれ、のち市川姓を名乗る。大学で電気工学を修め、京浜電鉄の技術部長を務めるが、明治37年日露戦争に第6連隊(名古屋)に所属、歩兵少尉として出征し、遼陽の首山堡の戦闘で功を立て、陸軍中尉に昇進。奉天の会戦で、38年3月戦死した。中泉府八幡宮境内に市川公園を作り銅像が建立された。また東京大学の校内にも抜刀姿の銅像が建てられたが、第二次世界大戦後、静岡護国神社境内に移された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川紀元二」の解説 市川紀元二 いちかわ-きげんじ 1873-1905 明治時代の軍人。明治6年2月17日生まれ。京浜電鉄の技術部長。明治37年日露戦争に歩兵少尉として出征し,遼陽の首山堡(しゅざんほ)の戦闘で功をたてる。陸軍中尉。奉天の会戦で明治38年3月7日戦死。33歳。静岡県出身。東京帝大卒。旧姓は青山。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例