市橋長昭(読み)いちはし ながあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市橋長昭」の解説

市橋長昭 いちはし-ながあき

1773-1814 江戸時代中期-後期大名
安永2年4月7日生まれ。市橋長璉(ながてる)の長男。天明5年近江(おうみ)(滋賀県)仁正寺(にしょうじ)藩主市橋家7代となる。寛政8年藩校日新館を設立。桜花を愛し,木村蒹葭堂(けんかどう)らと交遊,蔵書家として知られる。毛利高標(たかすえ),池田定常(松平冠山)とともに文学の三侯といわれた。文化11年9月27日死去。42歳。号は黄雪,星峯,擅春斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「市橋長昭」の解説

市橋長昭 (いちはしながあき)

生年月日:1773年4月7日
江戸時代後期の大名
1814年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む