フランスの博物学者、作家。ル・アーブルの生まれ。技術関係の軍人であったが、軍隊生活と折り合いがつかず退役。その後は、ヨーロッパを放浪、理想の社会を夢想する。1768年マダガスカルへの遠征隊に参加し、フランス島(現在のモーリシャス島)に1770年まで滞在。帰国後、J・J・ルソーと交際。1773年に『フランス島旅行記』を出版。1784年に公刊された『自然の研究』は、その自然描写によって有名となり、その1788年版には、現在なお読まれている『ポールとビルジニー』(1787年発表)が収められる。ほかに『インドの荒屋(あばらや)』La Chaumière indienne(1790)、『自然の調和』(1815)がある。1792年パリ植物園の園長、1795年アカデミー会員。ナポレオン帝政下、名声と栄光のうちに死ぬ。社会への憎悪から生まれた自然への愛が、自然の観察、描写を生み出した。ロマン主義のシャトーブリアンの先駆者でもある。
[原 好男]
フランスの作家。北フランスのル・アーブルに生まれ,夢想的情緒不安定な性格で,土木技師の資格を得ると,早くからオランダ,ドイツ,ポーランド,ロシアを歴遊し,さらには1768年インド洋上のフランス島(現,モーリシャス島)に赴き,70年まで滞在。帰国後パリでルソーを知り,その影響を強く受けた。73年処女作《フランス島紀行》の出版後,自然界のすばらしさによる神の証明を目的とした《自然の研究》の著述に没頭,84年に最初の3巻を発表,成功を収めた。大革命期には植物園長(1792),学士院会員(1795)となり,以後幸福な晩年を送った。《自然の研究》の第4巻として刊行の牧歌的純愛小説《ポールとビルジニー》(1788)は自然と美徳の賛美,色彩感覚豊かな絵画的文体,ことに異国情緒によって大きな反響を呼んだ。同系列の小説《インドの藁屋》(1790)のほか,遺作《自然の調和》(1815)がある。
執筆者:中川 信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
※「ベルナルダンドサンピエール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新