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木村蒹葭堂

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美術人名辞典の解説

木村蒹葭堂

江戸後期の文人・本草学者。大坂生。名は孔恭、字は世粛、通称坪井屋吉右衛門、別号に遜斎・巽斎等。本草学は津島桂庵・小野蘭山について究めた。珍書・奇書・書画骨董を蒐集し、文人・学者と交遊。家職の造酒業による富を背景に詩文・書画・博物学を能くする。享和2年(1802)歿、67才。

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デジタル大辞泉の解説

きむら‐けんかどう〔‐ケンカダウ〕【木村蒹葭堂】

[1736~1802]江戸中期の文人。大坂の人。名は孔恭。通称、坪井屋吉右衛門。別号、巽斎(そんさい)。本草学・絵画・詩文を学び、書画骨董を収集。著「蒹葭堂日記」など。

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百科事典マイペディアの解説

木村蒹葭堂【きむらけんかどう】

江戸中期の文人。名は孔恭(こうきょう),号は巽斎(そんさい),通称は坪井屋吉右衛門。大坂の造酒家に生まれる。家業のかたわら学芸を好み,小野蘭山本草学片山北海に漢学,池大雅らに文人画を学び,柳沢淇園とも親交があった。
→関連項目青木木米日本山海名産図会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木村蒹葭堂 きむら-けんかどう

1736-1802 江戸時代中期-後期の本草家,文人。
元文元年11月28日生まれ。大坂堀江で酒造業をいとなむ。小野蘭山に本草学を,片山北海に漢書を,池大雅(いけの-たいが)に山水画をまなぶ。博識と書画・典籍・標本・骨董(こっとう)の収集で知られた。自筆交友録に「蒹葭堂日記」,著作に「山海名産図会」など。享和2年1月25日死去。67歳。名は孔恭(こうきょう)。字(あざな)は世粛。通称は坪井屋吉右衛門。別号に巽斎(そんさい)。

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世界大百科事典 第2版の解説

きむらけんかどう【木村蒹葭堂】

1736‐1802(元文1‐享和2)
江戸後期の雑学者。名は孔恭,字は世粛。別に巽斎とも号した。通称は坪井屋吉右衛門。大坂の人。酒造業を営むかたわら,学芸を好み,小野蘭山に本草学を,片山北海に漢詩文を,大岡春卜に絵を学ぶなどした。書画骨董や珍品奇物の収集と考証につとめ,博学多識をもって聞こえた。その一端は《蒹葭堂雑録》に示されている。博識と好事の癖を愛して来訪する者がきわめて多かった。晩年24年間の克明な日記を残しており,それによると地元大坂の人ばかりでなく,大田南畝,頼春水など諸方の名士のほとんどが来訪しており,当代の知識人のサロンの主宰者のような蒹葭堂の立場を伝えている。

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大辞林 第三版の解説

きむらけんかどう【木村蒹葭堂】

1736~1802) 江戸中期の本草家・文人。大坂の人。通称、坪井屋吉右衛門。本草を小野蘭山、詩文を片山北海に学ぶ。書画典籍標本類を広く収集し善本を多数復刻し、図譜を編纂した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

木村蒹葭堂
きむらけんかどう

[生]元文1(1736).11.28. 大坂
[没]享和2(1802).1.25. 大坂
江戸時代後期の博学者で南画家。通称は坪井屋吉右衛門,名は孔恭,字は世粛,号は巽斎,蒹葭堂など。大坂で酒造業のち文具商を営むかたわら,奇書珍籍,書画骨董,標本類の収集に努めた。絵は黄檗僧鶴亭や池大雅らに習う。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木村蒹葭堂
きむらけんかどう
(1736―1802)

江戸中期の博物学者、文人。元文(げんぶん)元年11月28日大坂・北堀江に生まれる。名は孔恭(こうきょう)、字(あざな)は世粛(せいしゅく)、巽斎(そんさい)と号した。通称坪井屋吉右衛門(きちえもん)(多吉郎)。代々酒造業を営み、庭の井戸から出た古芦(あし)の根にちなんで、書斎を蒹葭堂と名づけた。幼時より植物に親しみ、本草学者小野蘭山(らんざん)に入門、生涯考索に努めた。多趣味で絵画は花鳥のほか山水を池大雅(いけのたいが)に学び、篆刻(てんこく)は高芙蓉(こうふよう)に就き、温雅な作を残した。また煎茶(せんちゃ)にも通じ売茶翁(ばいさおう)の遺品を伝えた。詩文は片山北海(ほっかい)に師事し、1758年(宝暦8)ごろより月例詩文会を催して混沌(こんとん)詩社の基礎をつくった。和漢の瀟洒(しょうしゃ)な書籍を自費出版したが、書画典籍や地図標本類の膨大な収集は内外に知られ、遠近よりの来訪者名簿『蒹葭堂日記』は当時の文運をうかがう好資料である。享和(きょうわ)2年1月25日没。小橋(おばせ)(天王寺区餌差町)大応寺に葬られた。[水田紀久]
『野間光辰監、水田紀久編『蒹葭堂日記』(1972・中尾松泉堂書店)』

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世界大百科事典内の木村蒹葭堂の言及

【オキナエビスガイ(翁戎貝)】より

… 日本産はこの種のほか5種あり,ベニオキナエビスガイM.hiraseiはこの種に似て紅色でやや低い円錐形で,銚子沖から沖縄,フィリピンに分布する。木村蒹葭堂(けんかどう)が1775年(安永4)に《奇貝図譜》を著して,これに図説している。これは世界でこの類の発見の最初の記録である。…

【貝】より

…深根輔仁の《本草和名》(918ころ)に始まり,江戸時代に入って多くなった。大江流芳の《貝尽(かいつくし)浦の錦》(1749)や松岡玄達の《怡顔斉介品(いがんさいかいひん)》(1758)などが出,また木村蒹葭堂(けんかどう)の《奇貝図譜》(1775)はベニオキナエビスガイはじめ多くの深海産の貝を図説したものである。〈生きている化石〉オキナエビスガイが西インド諸島で発見されて学会を驚かせたのが1855年であるから,それより80年も前のことである。…

【蒹葭堂雑録】より

…江戸末期の随筆。木村蒹葭堂著。1859年(安政6)刊。…

【日本山海名産図会】より

…内題には《山海名産図会》とのみあるが,目録題は《日本山海名産図会》とされている。本文は木村蒹葭堂(けんかどう)の著とされ,画は蔀関月(しとみかんげつ)の筆。編著者蒹葭堂は大坂の人。…

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