デジタル大辞泉
「木村蒹葭堂」の意味・読み・例文・類語
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きむら‐けんかどう【木村蒹葭堂】
- 江戸中期の文人。好事家。名ははじめ鵠、のちに孔恭。字は世粛。通称坪井屋吉右衛門。別号巽斎、遜斎。大坂の人。代々酒造業を営む。幼少より学問を好み、本草学を津島桂庵・小野蘭山に、漢学を片山北海に、絵を池大雅に、篆刻を高芙蓉に学んだ。書画・器物の収集で知られ、学者文人と多彩な交流を持った。意にかなった書籍を二七余種出版し、蒹葭堂版と称される。著「蒹葭堂日記」など。元文元~享和二年(一七三六‐一八〇二)
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木村蒹葭堂
きむらけんかどう
(1736―1802)
江戸中期の博物学者、文人。元文(げんぶん)元年11月28日大坂・北堀江に生まれる。名は孔恭(こうきょう)、字(あざな)は世粛(せいしゅく)、巽斎(そんさい)と号した。通称坪井屋吉右衛門(きちえもん)(多吉郎)。代々酒造業を営み、庭の井戸から出た古芦(あし)の根にちなんで、書斎を蒹葭堂と名づけた。幼時より植物に親しみ、本草学者小野蘭山(らんざん)に入門、生涯考索に努めた。多趣味で絵画は花鳥のほか山水を池大雅(いけのたいが)に学び、篆刻(てんこく)は高芙蓉(こうふよう)に就き、温雅な作を残した。また煎茶(せんちゃ)にも通じ売茶翁(ばいさおう)の遺品を伝えた。詩文は片山北海(ほっかい)に師事し、1758年(宝暦8)ごろより月例詩文会を催して混沌(こんとん)詩社の基礎をつくった。和漢の瀟洒(しょうしゃ)な書籍を自費出版したが、書画典籍や地図標本類の膨大な収集は内外に知られ、遠近よりの来訪者名簿『蒹葭堂日記』は当時の文運をうかがう好資料である。享和(きょうわ)2年1月25日没。小橋(おばせ)(天王寺区餌差町)大応寺に葬られた。
[水田紀久]
『野間光辰監、水田紀久編『蒹葭堂日記』(1972・中尾松泉堂書店)』
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木村蒹葭堂 (きむらけんかどう)
生没年:1736-1802(元文1-享和2)
江戸後期の雑学者。名は孔恭,字は世粛。別に巽斎とも号した。通称は坪井屋吉右衛門。大坂の人。酒造業を営むかたわら,学芸を好み,小野蘭山に本草学を,片山北海に漢詩文を,大岡春卜に絵を学ぶなどした。書画骨董や珍品奇物の収集と考証につとめ,博学多識をもって聞こえた。その一端は《蒹葭堂雑録》に示されている。博識と好事の癖を愛して来訪する者がきわめて多かった。晩年24年間の克明な日記を残しており,それによると地元大坂の人ばかりでなく,大田南畝,頼春水など諸方の名士が来訪しており,当代の知識人のサロンの主宰者のような蒹葭堂の立場を伝えている。
執筆者:日野 竜夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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木村蒹葭堂
きむらけんかどう
[生]元文1(1736).11.28. 大坂
[没]享和2(1802).1.25. 大坂
江戸時代後期の博学者で南画家。通称は坪井屋吉右衛門,名は孔恭,字は世粛,号は巽斎,蒹葭堂など。大坂で酒造業のち文具商を営むかたわら,奇書珍籍,書画骨董,標本類の収集に努めた。絵は黄檗僧鶴亭や池大雅らに習う。しかし,むしろ博学の好事家として全国に名が通り,『蒹葭堂日記』は当時の南画家や学者たちとの広い交遊関係を記録して,資料的にも注目される。出版にも力を注いだ。主要作品『山水図』 (大阪市立美術館) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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木村蒹葭堂 きむら-けんかどう
1736-1802 江戸時代中期-後期の本草家,文人。
元文元年11月28日生まれ。大坂堀江で酒造業をいとなむ。小野蘭山に本草学を,片山北海に漢書を,池大雅(いけの-たいが)に山水画をまなぶ。博識と書画・典籍・標本・骨董(こっとう)の収集で知られた。自筆交友録に「蒹葭堂日記」,著作に「山海名産図会」など。享和2年1月25日死去。67歳。名は孔恭(こうきょう)。字(あざな)は世粛。通称は坪井屋吉右衛門。別号に巽斎(そんさい)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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木村蒹葭堂 (きむらけんかどう)
生年月日:1736年11月28日
江戸時代中期;後期の文人;商人;好事家
1802年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の木村蒹葭堂の言及
【オキナエビスガイ(翁戎貝)】より
… 日本産はこの種のほか5種あり,ベニオキナエビスガイM.hiraseiはこの種に似て紅色でやや低い円錐形で,銚子沖から沖縄,フィリピンに分布する。木村蒹葭堂(けんかどう)が1775年(安永4)に《奇貝図譜》を著して,これに図説している。これは世界でこの類の発見の最初の記録である。…
【貝】より
…深根輔仁の《本草和名》(918ころ)に始まり,江戸時代に入って多くなった。大江流芳の《貝尽(かいつくし)浦の錦》(1749)や松岡玄達の《怡顔斉介品(いがんさいかいひん)》(1758)などが出,また木村蒹葭堂(けんかどう)の《奇貝図譜》(1775)はベニオキナエビスガイはじめ多くの深海産の貝を図説したものである。〈生きている化石〉オキナエビスガイが西インド諸島で発見されて学会を驚かせたのが1855年であるから,それより80年も前のことである。…
【蒹葭堂雑録】より
…江戸末期の随筆。[木村蒹葭堂]著。1859年(安政6)刊。…
【日本山海名産図会】より
…内題には《山海名産図会》とのみあるが,目録題は《日本山海名産図会》とされている。本文は[木村蒹葭堂](けんかどう)の著とされ,画は蔀関月(しとみかんげつ)の筆。編著者蒹葭堂は大坂の人。…
※「木村蒹葭堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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