日本歴史地名大系 「市谷左内坂町」の解説 市谷左内坂町いちがやさないさかまち 東京都:新宿区旧牛込区地区市谷左内坂町[現在地名]新宿区市谷左内町(いちがやさないちよう)市谷田(いちがやた)町一丁目南側から北西に上る左内坂の通りの南西側を占める片側町。北西は長泰(ちようたい)寺境内など、南西は洞雲(とううん)寺、北東は定火消役屋敷。表間口は京間で四四間、裏行は南東側が一二間、北西側が一四間余。草創名主は島田左内重次で、重次が寛永三年(一六二六)に外堀端の田地を埋立てて市谷田町各町に割った際、合せて坂上の当地にも町屋を造成したという。田町各町と同じく開発以前は市谷領布田新田の百姓地で、開発後は市谷坂町と称したが、のち自然と市谷左内坂町とよばれるようになったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by