帆足計(読み)ホアシ ケイ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「帆足計」の解説

帆足 計
ホアシ ケイ


肩書
元・衆院議員(社会党),元・参院議員(緑風会)

生年月日
明治38年9月27日

出生地
大分県日田市

学歴
東京帝大経済学部〔昭和6年〕卒

経歴
戦前は重要産業協議会事務局長、商工省参与などを歴任戦後、経済復興幹事長を経て、昭和22年参院議員に当選。27年衆院に転じ、以来7選。27年にはモスクワ北京に赴き、日中貿易協定を締結した。44年公認のもつれから社会党を除名され、総選挙に無所属で立候補したものの落選した。著書に「日本経済の復興」「ソ連中国紀行」「みてきた中国」など。

受賞
勲二等旭日重光章〔昭和50年〕

没年月日
平成1年2月3日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「帆足計」の解説

帆足 計
ホアシ ケイ

昭和期の政治家 元・衆院議員(社会党);元・参院議員(緑風会)。



生年
明治38(1905)年9月27日

没年
平成1(1989)年2月3日

出生地
大分県日田市

学歴〔年〕
東京帝大経済学部〔昭和6年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和50年〕

経歴
戦前は重要産業協議会事務局長、商工省参与などを歴任。戦後、経済復興幹事長を経て、昭和22年参院議員に当選。27年衆院に転じ、以来7選。27年にはモスクワ、北京に赴き、日中貿易協定を締結した。44年公認のもつれから社会党を除名され、総選挙に無所属で立候補したものの落選した。著書に「日本経済の復興」「ソ連中国紀行」「みてきた中国」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「帆足計」の解説

帆足計 ほあし-けい

1905-1989 昭和時代の政治家。
明治38年9月27日生まれ。昭和19年重要産業協議会事務局長となり,統制経済推進。戦後は経済復興会議幹事長などを歴任後,22年参議院議員に当選し,27年社会党から衆議院議員(当選7回)。同年モスクワ,北京を訪問,日中貿易協定をむすんだ。平成元年2月3日死去。83歳。大分県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「帆足計」の解説

帆足 計 (ほあし けい)

生年月日:1905年9月27日
昭和時代の政治家。衆議院議員(社会党);元・参議院議員(緑風会)
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の帆足計の言及

【経済同友会】より

…こうした状況のなかで,1946年3月11日の日本産業協議会(日産協)準備会結成に続き,4月30日に秩父セメント社長諸井貫一をリーダーとする大企業の若手経営者を中心に同友会は組織された。初代の当番幹事は諸井のほか,日産協事務局長郷司浩平,同顧問帆足計。同友会の活動目的は,経済人としての職能的立場から日本経済の進歩と安定に寄与し,会員相互の啓発をはかることにある(定款)。…

【中華人民共和国】より

…52年4月の日華平和条約締結を中華人民共和国政府は日本の敵対行為と激しく非難,これに対して日本政府は〈政経分離〉の方針をとり,貿易と限られた人事往来,文化交流しか認めない方針をとり続けた。
[民間交流]
 民間の交流は,まず52年春に訪中した帆足計ら3人の国会議員が6月に北京で第1次貿易協定を締結して始まった(〈日中貿易〉の項目参照)。53年初めには,中国残留日本人の帰国援助に関する取決めが日本赤十字社と中国紅十字会との間でなされた。…

※「帆足計」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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